ゆかこの部屋

小さな幸せを集めて貯めるblog

私の子から、私たちの子へ

2023年5月22日。

やっと退院できた日のことは、きっと忘れないだろう。

この日は、朝10時まで普通に療養。11時にベッドを引き払い、赤ちゃんは退院前最後の検査へ。12時過ぎに再度受け取ることになっていた。

午前中には夫が来て、実家の母は昼過ぎに合流。毎日面会していた夫と違い、母は初めての対面だ。

「Oさーん(私)、赤ちゃん戻ってきましたよ」

助産師さんに呼ばれ、新生児室へ。最後に授乳と着替えをさせてもらう。

この日の退院は3人。ほかの2人はさくさく支度を終えるのに対し、私の子は肝心なときに寝るわ、うんちするわで、20分ぐらい待たせて家族の元へ。

「わぁ…!」

と、待ちに待った赤ちゃんを、くしゃくしゃの顔で抱き寄せた母。

(やっと赤ちゃんを見せられた!)

と安堵すると同時に、孤独な育児から解放され、「私の子」が「私たちの子」になったのを感じた。

産院での育児は3日半。たかが3日半に聞こえるだろうが、そもそも帝王切開の術後で、注射だの投薬だのとひっきりなしに人が来る。そんな中、おっかなびっくり抱っこして、おむつ替えにも四苦八苦。3時間に1回は、やれ母乳だ、やれミルクだと追い立てられる日々だった。

同室中はいつギャン泣きされるかと緊張して眠れず、かといって新生児室に預ければ、空いたスペースがもの淋しくて眠れない。

疲れがピークに達したのは同室2日目の夜。私が見るからに疲れていたため、助産師さんが赤ちゃんを預かってくれたときのことだ。

1時間ほどして授乳の時間になり、深夜の新生児室へ迎えに行くと、私の子が聞いたこともないような大声で泣き喚いている。思わず強く抱き抱え、「ごめんね!ごめんね!」と泣きながら謝った。

後から考えれば、ただ空腹で泣いているだけだったのだが(日常茶飯事)、あのときの私は「子どもを捨てた母親!」と責められたような気になって、ほかのママたちもそこにいたのに、涙を自制することができなかった。

睡眠がほとんどできないため、実質的に3日より長い3日間は、「死闘」としか表現できない3日間でもあった。

 

さて、そんな長く暗いトンネルのようだった入院暮らしを終え、今、私の家にはこの子を見守る眼差しが1人から3人になった。それは新米ママである私を見守ってくれる目でもあり、支えてくれる手足でもある。

夜中にギャン泣きされては「やれやれ…」と共に頭を抱え、くるくる変わる表情を見ては「かわいいね」と顔を見合わせる。

育児の苦しみは分け合うと軽くなり、育児の楽しみは分け合えば増えるのだろうか。そんなことを考えるとまた、涙がこぼれてくるのだった。

長い育児はまだまだ、始まったばかり。