TVのない生活を始めて早2年。
ジムやサウナで見ることはあっても、「やっぱ家にも必要だ!」とは思えない私が、最近はまっているのは、ラジオ。
iPhoneのアプリ「Radiko」を使えば、気に入った番組をアラームみたいに登録できるし、何より魅力なのは、番組に外れがなく飽きないこと。
ラジオの魅力を画像で表現すると、
右の歯車が日常生活、左がいわゆる社会、世の中一般だとして、一見無関係に見える両者の繋がりを、ちゃんと感じさせてくれるのがラジオ、って気がするんです。
逆にTVはどうかというと、ニュースにしてもバラエティにしても、TVが独り歩きしてるというか、「どぉーだ、すげぇだろぉー、おもしれぇだろぉー」って訴えてくる割に、ぜんっぜん面白くないからテンション下がる(-_-)
さて、ラジオにあってTVにないもの、つまり歯車の画像を言葉で表現するとすれば、
「双方向性」
でしょう。
リスナーはちゃんと番組に影響を与えてるし、一方局は、リスナーの声を聴いた上で、番組を作っている。
その結果、日常生活に密着しつつ、且つ社会性のある内容が放送されている。ちゃんと意味を感じるから、飽きがない、のかな???
じゃ、その双方向性を支えているものが何かといえば、NETです。
ラジオを聴いているとよく出てくるのが、Twitter。内容に関するリアクションをTweetすれば、DJが見てコメントを返したり、社会的な内容であればそこで議論が起こったり。
大げさかもしれないけど、みんなで番組に参加してる!社会に参加してる!って感じがする!!!
というような考えかどうか知らないけど、NHKのアナウンサーを辞めたばかりの堀潤さんという人が、今朝のラジオでいっていた。
「僕がNHKを辞めたのは、TV放送というものの限界を感じたからです。」
堀さんは8bit newsというニュースサイトをやっていて、これは何かというと、市民投稿型のニュースサイトなんだって。
世の中に伝えられるべきニュースって、北朝鮮のミサイルとかボストンの爆弾テロとか以外にも実はいっぱいあって、むしろ本当に伝えられ、考えられるべきニュースって、私たちの生活の隣にあるんですよね、っていう哲学を感じます。
参加。。。。。
私に最近足りないのはこの「参加」感かもしれないな。
さて、前出の堀さんが、大変素晴らしいことをいっていた。
先行きの見えないこんな時代に
「地図を持つな!コンパスを持て!」
ですって!
「転がる石に苔は生えない」以来のカンドーーー。
地図というのはそもそも、先人が既に見つけた地点に辿り着くためのものであり、しかし明確な答えのないこんな時代に、人の行った道をなぞったって意味がない、ってことらしい。
志(=目指す方角)を同じくする人たちと、歯車(=組織)になって組み合って、たとえ答えは見えないとしても、それぞれが議論に参加して、規制の多い公約数ではなく、自由度の高い公倍数としての、素晴らしい未来を創り出す。
そんな仕事が出来たら、楽しいなぁ。