2日後には、日本人宿「ラッキーハウス」へ。
そこでは、3年旅をしている人や、引きこもりならぬ「外こもり」、向上心剥き出しのビジネスマンなど、日本社会の縮図より、濃い面々との出会いがあった。
中でも、忘れられない人が3人。
1人目は、名古屋から来た50代の主婦。旦那も子供も置いて、定期的に羽を伸ばすらしい。
滞在したのが旧正月の大晦日、ということで、荷物から鍋やらガスやらコンロやらを取り出し(どうやって運んだんだ?)、「年越しそばを食べよう!」と、若い私たちにふるまってくれた。
とっても奇妙で、とっても自由な彼女は、夜が更ける頃、チャイナドレスに身を包み、香港の闇に消えて行った。
2人目は、大阪から来た、アクションスターの卵。宿には長期滞在していた。
『やりたいことがやれないなら、今死んだって同じこと』
今考えれば刹那的な、とても実現するとは思えない夢への階段だったけど(実現したかは不明)、当時入りたくもない会社に入り、死んだように生きていた私には、とても刺激的な出会いだった。
3人目は、上海から来た、同い年の日本人留学生。
現実を受け入れ、現実を動かす。「世の中に不可能はない」と本気で思っていそうな、そして本当に実現しそうな、静かな自信に溢れた人。
上海での留学経験から、日本は凄い国なんだって、教えてくれた。
そして、日本が嫌いだった当時の私に、本当に嫌いなのは、環境じゃなくて自分なんだって、気づかせてくれた。
世界は広いのだ。ぐずぐずしてる場合じゃない。