これは、誰にも秘密の旅。
誰のためにもならず、きっと誰にも理解されない、私だけの旅。
一生知るはずのなかったこの場所に、今いるんだから、人生は面白い。
こんなことになったのは、ある夏の日のFacebookがきっかけだった。
20年間会うことのなかった父親から、突然の友達申請。
私は子供の頃から、母より父に似てるといわれて育ち、しかし育ててくれるのは、父とは別れた母という、大きな葛藤の中で暮らしていた。
大人になるにつれ、母に理解されないことが増える度、父方の遺伝子に興味を持ち、自分の目で見たい知りたいと、思うようになってはいたが、それは昔よくあった、TVの再会番組みたいな、寂しくてとか愛に飢えてどうこうとか、そういう類の感情とは違う。ただただ、興味があったのだ。
そしてSNSの時代が来て、父親の存否が明らかになり、まずしようと思ったのは、祖母のお墓参りだった。とある先生に、私の守護霊は父方の先祖、といわれたことがあるからだ。
そして大きく背中を押した、もう1つの理由。
それは、膠着状態に入りつつある恋。これも、遺伝なのではないかと。
そして、今。
父にしても祖母にしても、世の常識では負とされていることを、それでもやってのけた人たちだ。そのエネルギーとかバイタリティーの、使い方が誤っていたとはいわないが、もっといい使い方があるのなら、私はそれを選びたいのだ。
と、ここまで書いて思う。
大好きだから、別れたほうがいいのかなぁ?
その答えを見つけるための、
墓参。
墓参後。
この墓に眠る人が、どうであれ父を産み、父と出会った母が、どうであれ私を産んだ。
それ故に私が、今こうして生きている。
それだけが事実であって、その存在を誰にも否定出来ないように、
祖母のことを、父のことを、そして私のことも、誰にも否定出来ないの、かもしれない。