ゆかこの部屋

小さな幸せを集めて貯めるblog

生理のときは頑張らない

生理の前後は具合が良くない。

幸い体は、半日眠いとか痛いとかいう程度だが、心のほうはしっかり沈む。何かに取り組もうという気分ではもちろんなく、自分の人生には何の意味もないような気さえしてくる。もちろんそんなことはないので、要は「合理的思考」が全くできない。

そんなときは「寝るに限る」が、今夜は全く眠くならない。昨夜12時間寝たからだ。ここは前向きに捉えて、もやもやしているときにしか考えないようなことを書き残しておきたい。

乱筆乱文失礼します。

 

さて、生理が来るということは、今月も妊娠しなかったということだ。世の妊活中の方はこういう落胆を何度もされているのだろうが、私の場合はここ半年でやっと、その辺のことを実感できるようになった。

私は現在43才。普通に考えたら小学生か中学生の親ぐらいでもおかしくないのだが、つい半年ぐらい前まで、そういうことに興味がなかった。自分がそういう、妊娠したり出産したりする性であるという、自覚そのものがなかったのだ。

育った家は母子家庭。母はその辺の父親より頼もしく、兄は私を弟のように育てた。という、そもそも「女」という自覚の育ちにくい環境であったことに加えて、自己承認の欠如が激しく(父親譲り)、30代までの人生はほぼ、その埋め合わせに費やしたといって過言ではない。

要は、自分のことで精一杯。妊娠、出産どころではなかったのだ。傍から見れば私は、どこか明後日の方向を進んでいる人に見えただろう。

そんな私ではあったが、半年ほど前から急に、子供という生き物が可愛く見えるようになってきた。無類の子供好きである今の彼の影響だ。その辺の子供を見てはメロメロになっているので、年齢が年齢だが、産めたら良いなと素直に思った。彼もだんだんその気になってきたようだった。

が!

実際問題、43才の壁は厚い。自然妊娠の確率は数パーセント(1周期当たり)。「万が一」とはいわないが「百が一」ぐらいの可能性ではある。とはいえ治療までするほどの気合もないので、結局はその程度のモチベーションなんだろうが、もやもやするものはもやもやするのだ。「今月できなければできないだろう」とベンチマークしていたこともあり、今月の生理には決定的な感があった。

それに加えて今月は、兄の娘であり私の姪、母にとっては唯一の孫の誕生日があるのだ。既に離婚しているので何才かもイマイチ分からないけれど、私たちは兄妹して母に、孫といえる孫を残せなかった。

はー。

私は自分の人生に「後悔」することこそない。全てはなるべくしてこうなったと納得している。が、「孫を残す」ことの意味も分からなかった私って、一体何考えて生きてきたんだろ???「罪悪感」だけが山ほど残っている。