ゆかこの部屋

小さな幸せを集めて貯めるblog

NIPT、母への報告、そして祖母(13週/4ヶ月)

妊娠13週(11/20-26)のふりかえり。

体調は10点満点中9点。−1はすぐ眠くなること。体重は妊娠前+1kg以内。下腹部は出てきたけど、最高に太っていた2年前よりは出ていない。

健康管理は上々。ただ私が努力しているというより、お腹の子に操られているような気がする…。妊娠のこの、自動的に切り替わる感じって凄い。

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今週は急転直下の1週間。悲しい涙と嬉しい涙、こんなに泣くかっていうぐらい泣いた。

11/21(月)

8日に受けたNIPT(出生前診断)の結果が、いよいよ明日に迫ってきた。

心配しても仕方のないことはしないようにしているが、それでもゼロというわけではない。このタイミングでの中絶はもう分娩並みにしんどいと聞くし、仕事だって何日も休まなければならない。この期に及んで、些細なことまで気になってくる。

何とかして前向きに考えられないものかと思案していたら、こんな考えが頭に浮かんできた。

「仮に中絶するとしても、それは生まれてくる子の苦しみを肩代わりすることではないのか」

というのも、もし陽性が出たとして、長く生きられるのはダウン症ぐらいのもので、ほかの疾患だった場合、もって1年ぐらいだという。

前回も書いた通り、人生はどこまで生き抜けるかのレースだ。若かろうと小さかろうと息絶えるときは息絶える。

もし長く生きられない子を産み落としたとして、その小さな体が死の苦しみと闘うのを見たとき、私はどう感じるだろう。(中絶と違って)自分の体は痛まないかもしれないが、きっと「代わってあげたい!」と思うに違いない。

そう考えていったら、先に堕ろすことが「代わってあげる」に当たるのではないかと、「もし陽性だったら」について、初めて納得のいく答えが得られた。

 

心の準備ができたところで、母からとんでもない連絡が入ってきた。

「おばあちゃんが転倒して頭から出血。いよいよ危ないかもしれない。」

え?

文意を理解するかしないかぐらいのところで、決壊したダムみたいに涙が溢れてきた。

私の祖母は96才。もう十分に生きたし、「いつそうなっても…」とは誰もが分かっていたはずだが、それが「今日かもしれない」ということに、ここまで動転させられるとは。お腹を触ってもらいたかったのに。

それから4時間ぐらいはぶっ続けで泣きながら、母や兄と連絡。祖母の写真を飾り、無事を祈った。

まだ家族には伝えていないが、今、私の胎内には、人生を始めようとする命がある。人生を終えようとする祖母の命と、2つの命が重なり合っているように思えた。

11/22(火)

一夜明け、祖母は依然として危険な状況。写真を前に再び祈る。

午後からは、NIPTの結果を聞くため病院へ。彼は「緊張する…」と繰り返していたが、私は正直、おばあちゃんの苦痛に比べれば…という気分になっていた。祖母が私の不安を軽減するために…ということは多分ないだろうが、そういう人知を超えた因果のようなものに、またしても涙が出る。

 

午後15:35 診察室へ

目の前には前回担当してくれたカウンセラーさんと産婦人科医さん。表情を観察しながら、陽性と陰性じゃ伝える側の負担も違うだろう…などと想像している間にも、あっさり結果は伝えられた。

「陰性です」

カウンセラーさんからは笑みが溢れる。彼の表情を見る余裕はなかった。私は半分息が混ざったような声で「良かったです…!」とだけ言ったと思う。

その後、会計などの手続きを済ませ、病院を後に。ちなみにこの日の追加料金はなし。もし陽性が出て羊水検査をする場合にも追加料金はなしということで、同じ金額で受ける施術内容には隔たりがあるけど、これは実質、人数の多い陰性者が陽性者の実費も負担するということだろう。逆の立場で考えたとき、陽性からの追加料金じゃ、泣くに泣けない。

そんな会話をしていたら。母から祖母の続報が来た。結果から5分後のことだった。

「おばあちゃんは一命を取り留めました。まだ意識はないけど…」

またも因果なタイミングでの吉報。肩の荷が一気に下りたような感覚。

重なり合った2つの命は、今日もまた続いていく。

11/23(火)

勤労感謝の日で休み。もともとNIPTの結果次第では母に報告しようとしていた日でもある。当初は電話で伝えるつもりだったが、祖母のことで意気消沈しているだろうし、急遽実家まで帰ることにした。

東京駅の改札口までは彼が見送りに来てくれた。どういうわけか、彼はいつも見送ってくれる人なのだ。考えてみれば私は、これまで海外へ行くときも地方へ行くときも、大体独りで行って独りで帰ってきた。そういうものだと思っていたが、この世には「見送られる」という幸せがあるらしい。

 

午後13:43 熱海駅

新幹線で行く熱海は近い。寝るにも短いし何かするにも短い。どのタイミングでどう切り出すか、決めきらないままその時は来た。

午後14:00ごろ 実家着

母「お茶でも淹れようか…。コーヒーかお茶か、どうする?」
私(あ、カフェインが取れないことを伝えないと!)
「実は…ママがひっくり返りそうな報告があるんだけど」
母「え?結婚を取りやめるとか?」
私「いや、結婚はするよ、むしろ、来週に」
母「じゃあ何…まさか子どもができたとか?」
私「………………(頷く)」

母は、一瞬目を見開いた後、紙を丸めたみたいに顔をぐしゃぐしゃにして、私の肩を抱いてくれた。

高齢出産に不安はあるが、娘が母になる喜びはその10倍感じているという感じ。正直、どんな反応をされるか怖かったから、こんなに喜んでくれるなんて、喜び半分驚き半分だった。

さて、その後の母は止まらなかった。最初は、彼の反応はどうだった?とか、自分が妊娠していたときは〜とかいう内容だったが、次第に、祖母と母、母と私には因縁があり、私とこの子にもまた因縁が…というようなスピリチュアルなことから、明治時代の先祖や代々の墓のことなど、もう途中から何を何のために喋っているのか本人ですら分かっていないだろう勢いで、午後9時ぐらいまで喋り続けた。

ただ、昨日までは祖母のことで意気消沈していた母に、今までふらふらしていた娘がやっと妊娠した!いう事実は新たな目標になったらしい。最近は「終活を始めた」などといっていたが、それどころではなくなってしまったのだから…。

それにしても、私の今までの人生を考えると「今しかない!」というタイミングで来てくれたこの子と、私のような者をママにしてくれた彼、そして「協力する!」と力強くいってくれた母には感謝しかない。

私には最近、お腹の子が「ここしかない」というタイミングで絶対に決めるストライカー、彼は後方を守るキャプテンで、誰より頼もしい母はベンチに鎮座する「カズさん」のように思えている。※W杯開催中につき