ゆかこの部屋Blog

日々の行動と感動をコレクションしています

Baird Beer「Numazu Lagar」

本日も、農作業後のビール研究。

体を動かした後→定番のビールが欲しくなる→Numazu Lagarを選びました。

ベアード・ビールの創業地は沼津。その地名を冠したラガーということは、定番中の定番なんだろうなぁ!と口にしてみたら、

定番だった!

いや、定番というよりも、定番+ベアードさんの特徴である「酵母感」です。花やかな「フルーティーさ」や突き抜けるような「爽快感」、長く口に残って欲しい「重み」といった個性はないです。

うだうだとごめんなさい。要するに、同じ定番でも、Rising Sunのほうが好きなのです。 tokyo100k.hatenablog.jp

 パンフレットによると、「ソフトで丸みがあり後味はクリーン」とのこと。

「ソフトで丸み」が、農作業後の私にフィットしなかったのかも。

まったりと「こたつで食べる白身魚の鍋」なら合うでしょう。

朝顔の種

東京で仲良しだった某氏から、「朝顔の種」が届いた。

某氏が育てて取ったもので、前にももらったが失くしたので、再送してもらったのだ。

 

それぞれの場所で、同じ種を育てる。

たとえ場所は離れていても、同じ花を楽しみたくて。

 

平成も終わるっていうこの時代に、我ながらレトロな趣味だが、

「繋がり」なんて目に見えないから、「あるかないか」より「感じるか感じないか」だから、

朝顔という「目に見えるもの」に、それを投影したかったのかもしれない。

 

たかが花、されど花。

朝顔が綺麗ですね」って、まるで夏目漱石じゃないか。

1週間チャレンジ -健康食-

暮らしに刺激が足りないので、1週間チャレンジを始めてみます。

第1週は「健康食」。

写真撮って載っけるだけですが、継続して習慣にしたい!

4/9

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4/10

BREATH&ROYさんで買った「デカンショねぎ味噌」を食べるために適当に作った炒め物(右)が、思いの外めちゃくちゃ旨い。


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4/11

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4/12

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4/14

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4/15


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《気づき》

せっかく料理するんだから、地産地消してみようとか、素敵な食器で食べてみようとか、小さな欲が出てきて楽しい。

わざとじゃないけど、肉をほとんど食べなかった(最後は反動出てるが)。

脂っぽいものを受けつけなくなったのは、年か、それとも健康になったか。

世界は自分の応援団だ

と考えたほうが、人生は巧く泳げるのかもしれない。

独りで戦う必要はない、という意味でもある。

 

2019/4/19(金)で40才になりました。

ビールの「商談」がぼちぼち始まりまして、「営業」を得意としない私のこと、緊張が続くわけですが、その中で、冒頭のようなことを感じました。

ありがたいことに、人は、相談すれば協力してくれる。逆に、できもしないのに相談しなければ、会社にとって損害なのです。

しかしですね、40才にもなると、「もっとできるはずだ、自分!」って意味のないプライドが働くわけで、だけど結局のところ、巧くなんてできないわけで。

 

そんなときの心持ちとして、「世界は自分の応援団だ」と、信じてしまう。思い込んでしまう。

成果に拍車がかかるなら、本当にそうかなんて関係なく、私もハッピー、あなたもハッピー。そんな結果が待っている、はず。

 

40才になった今、目指したいのはこんな人です。

ありきたりな表現なら、肩の力が抜けている人。もっと正確にいうなら、自分の弱さを認められる人。

本当に守りたいもののために、捨てても良いものは捨てる。

私もハッピー、あなたもハッピー。これが私のハッピーなので。

40年間ふりかえり -30代-

こんばんは。

短期集中連載もいよいよ最終回のゆかこです。

30代はねぇー、前半だけふりかえりましょう。そうしましょう。

後半は進行中案件も多く、書きづらいのでパスします!

30代前半

27才にしてリクルートに迷い込んだ私。

2009(平成21)年、30才になる前後で部署異動があり、「リクルートらしい」暮らしに突入してしまいました。

どんな暮らしかというと、朝から晩まで真剣に働き、21時に飲み会スタート。「南天玉」で終電逃し、27時にタクシー帰り。

っていう、今考えれば、その頃がちょうど「終わりの始まり」でした。

猛烈に楽しい私と、イマイチだった彼との間に深刻な溝が生まれ、日夜喧嘩が絶えず、生理的にも受け容れ難くなり、2011(平成23)年の3.11震災を機に、4年に及ぶ暮らしは幕を閉じたのでした。

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とはいえ、悲壮感漂ってたのは2ヶ月ぐらい。

その後は文京区に移り住み、あんなことやあんなことや、あんなことが起きるわけです。

結婚の呪縛さえなければ、全体的に楽しかった。

tokyo100k.hatenablog.jp

というわけで、ふりかえってみた40年。

前半戦は総じて楽しく、右肩上がりで来れました。後半戦も右肩上がりに、ますます充実の人生を!

 

ちなみに、本連載の桜写真は、「ささやまの森公園」で4/15に撮影。

 

♫篠山良いとこ、1度は来てね〜。

40年間ふりかえり -20代-

こんにちは。

「黄昏流星群」は10巻まで読みましたゆかこです。

さて、あと数日で40才。「人生の折り返し地点」を迎えるということで、40年間ふりかえりはいよいよ20代に入りました。佳境です!

20代前半

私が20才になったのは、1999(平成11)年。GLAYとかモーニング娘。とかが売れていたみたいです。宇多田ヒカルのデビューもこの頃。

私は東京の法政大学に入り、サークルとアルバイトと、ときどきの旅行とに明け暮れておりました。

彼氏ができたのは大学1年のとき。あっ、正確には19才だけど、今は亡き学生会館のベランダで、サークルの先輩に告白したのでした。いくえみ綾の漫画と同じセリフで!

初めてのアルバイトは「ルノアール」。私は奥田民生が好きだったので、そのレコード会社の近くにいれば、きっと会える!と信じていたのです。結局、会えた有名人はイジリー岡田だけだったけど。

初めての旅行は「青春18きっぷ」で日本縦断。もう一生電車乗りたくないぐらい乗った。確か↑告白する直前だったので、成功を祈願して、札幌でピアス開けたっけ!

やることなすことカワイイやないか!

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はっ…大学1年だけでこんなに書いてしまった。

その後、大学は普通に卒業して、普通に就職するのだが、新卒の年は(私なりに)モテた!

えっ、どうしてこんなに爽やかで有能な男子が?ということもあったけど、その頃は謎に真面目だったため、チキショー!デートすらしなかったのだ。

私が「黄昏流星群」に出るなら、この人とだけはデートしたい。

20代後半

人生の針が(良い意味で)狂い出したのは、25才になった2004(平成16)年。一青窈の「ハナミズキ」がヒットしたらしいけど、この頃はもう音楽を聴いていなかった。

さて、何が狂ったかというと、親の反対を押し切って、韓国に渡ったのである。「冬ソナ」は別に関係なく。

そもそものきっかけは、卒業旅行で行った台湾。親日的な台湾人たちにもの凄く親日的にされ、「親日家を増やす仕事」として、日本語教員を志したのだ。

ところが、当時の日本語市場において、台湾=幼稚園での日本語教育。大人に教えたかった私は、韓国へ行くことになったのです。

累計1年7ヶ月に及んだ韓国滞在は、苦しさ8割楽しさ2割みたいな感じだったけど、その2割が猛烈に素晴らしかった。

言葉より、心の通じる素晴らしさ。

それが私の「礎」になったというか、今の私が今みたいに「常識を気にせず、共感で動く」大人になったのは、全てここが起点でしょう。「正しい」かどうかは分かりませんけどw

 

で、27才で韓国から戻り、その頃は結婚を考え、同棲なんかもしてました。

仕事はたまたまリクルートに入り、何が何でも18時に退勤(事務職だった)。一緒に夕飯を食べたりして、それなりに楽しい暮らしだったが…。

今考えれば、リクルートさんがそんな「平穏な暮らし」させてくれるはずなかったのだ。

 

30代へ続く。

40年間ふりかえり -10代-

こんばんは。

「黄昏流星群」は、7巻まで読んだゆかこです。

※58巻まで出てる

あと数日で40才。「人生の折り返し地点」を迎えるらしいので、これまでの40年をふりかえっています。

10代前半

私が10才になったのは、1989(昭和64/平成元)年のことでした。今は「令和」で祝賀ムードだけど、昭和→平成は、天皇崩御のほうがインパクト大きかった。

そんなこの年のヒット曲は、うわ!

光GENJI太陽がいっぱい」、工藤静香「恋一夜」など。あの頃は、工藤静香木村拓哉の妻になるなんて想像すらできなかったけど、一発逆転したよな〜。

 

さて、私の10代前半はというと、もう暗黒期も暗黒期でした。

第1の原因は、友達のできにくい性格!

7才のときに奈良から熱海に転居して、ただでさえ人見知りなのに、転校生だわ母子家庭だわで、仲の良い友達は1年に1人しかできなかったのです。

にも関わらず、そのたった1人が毎年転校!

中学で仲良かった子は、転校こそしなかったけど高校中退してしまい、割と優等生だった私は、「友情なんて脆い」と真面目に考えてしまった。

そうだ、これで思い出しけど、私、友達できないんだ。

ということで、今現在仲良くしてもらってる人は、貴重な友達として大切にしよう。今、決めました。

 

第2の原因は、環境!とにかく学校が悪かった。

確か小5のときだったか、担任から「万引き」の疑いをかけられたり(今考えれば、担任が贔屓してた女子と喧嘩してたのが原因だろう)、

小6になると、隣の男子が毎日下半身を見せてきて、担任が女だったせいか、見せられる側の女子が叱られたり(上野千鶴子に叱られろ!)、

中学に入るともっと酷くて、発育の良い女子に対して、白昼堂々、レイプまがいのことが横行してたり、ほんっと酷い酷い。親や先生は知らなかったのかな?

 

楽しいことは3つぐらいあった。

1つは、兄と示し合わせて学校を休み、日夜「ドラクエ」に熱中したこと。

でも、これは何回か書いたから割愛。

 

もう1つは、実在の同級生を主人公に描いた漫画「がんばれマサオくん」が、学年内でヒットしたこと。

内容は「ボーイズラブちびまる子ちゃん風」だったけど、「新刊まだ?」って、待たれるのは楽しかった。

 

最後の1つは、テニス部の先輩(男)と仲良くしてたこと。あれは初恋だったのかしら?

忘れないのは先輩の卒業式。私の同級生が、「先輩の第2ボタンをもらって欲しい」と頼んできた。

私は仲良しだったから、簡単にそれをゲットして、第2ボタンだけでなく、カフスボタンも全部もらった。

そして、第2ボタンは「もらえなかった」ことにして、私の懐にしまったのだ。だって、私も好きだったんだもの。

っていうか、第2ボタンって!「折原みと」の読みすぎ!今の若い子は分かるのか?念のため解説しておくと、「好きな人の心臓に一番近い位置にある」から、価値があるとされていたものです。

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10代後半

15才になったのは1994(平成6)年。ヒット曲はミスチルの「innocent world」や、広瀬香美の「ロマンスの神様」など。

私は三島北高校という女子校に入り、甘酸っぱい恋もない代わりに、レイプまがいのこともないという、平和な毎日を獲得しました。

当時はとにかく趣味に生きて、rockin'on JAPAN読んでるか、高校サッカー(県予選)見に行ってるか。そのために、毎日500円もらう昼食代を、200円で済ませて貯金したっけ!

好きなミュージシャンは奥田民生真心ブラザーズなど。よく見てたサッカー選手は小野伸二だけど、好きだったのは帝京のキャプテンだった河瀬くん。ファンレターの返事ももらった。

そういや、今の名字になったのは高校から。あと、生徒会長もやってました。

 

10代後半の後半は、受験勉強して法政大学に入るのだが、これは20代前半にまとめます。

40年間ふりかえり -00代-

こんばんは。

「黄昏流星群」にどハマりしているゆかこです。

この漫画、登場人物が40代から上の男女たちで、人生の折り返し地点を過ぎ、それぞれが「やり残し」を見つけちゃ「やり直す」ってストーリーが多いのですが、

ん?

40って、人生の折り返し地点なのか!

 

私、「社会的年齢感覚」みたいなものが著しく狂っているため、40まであと数日というところで、ようやくそれに気づいたわけです。いや、東京にいるときは分かってたけど、こっち来てから狂ったんだな。

ま、それは良いとして、とにかくあと数日で「折り返し地点」が来てしまう。

そこで本日より「40年間ふりかえり」として、緊急連載を始めます!

00代

10代、20代っていうけど、一桁の世代は何というんでしょう?分からないので00代とします。

私が生まれたのは1979(昭和54)年。ジュディ・オングの「魅せられて」がヒットした年。サザンオールスターズのデビューした年でもあります。

私は埼玉県所沢市で生まれ、0才の間に奈良へ転居しました。

当然この頃の記憶はありませんが、「三つ子の魂百まで」だな〜と思うエピソードが1つあります。

※母上、違ったら修正ください

それは私が2才か3才のとき、その頃から私はあちこちほっつき歩くのが好きだったらしく、その日も安定的に親の前から姿を消しました。

ところが!

その日に限って、本当に姿が消えている。近所のどこを探してもいない。血眼になって探してもいない。

いよいよ警察に捜索願か…と、よく行くスーパーまで探しに行ったら、独りでゴキゲンに玩具を物色していたらしい。

ところで、今はGoogleマップという便利なものがありますので、どのぐらいの距離か調べてみました。

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1.5km!大人の足で20分!

いやぁ〜やるわ。そりゃ移住もするわ。

 

さて、いちいち長文書いてられないので、サクサク行きましょう。

自分の中で最古の記憶としてあるのは、「奈良公園の鹿が怖かった」ことです。

余りにも怖かったので、それを払拭するべく保育園の書籍で勉強していました。鹿には上の歯がないから、噛まれても痛くないとか何とか。

怖さはそのままだったけど、困ったときは勉強する。これも、「三つ子の魂」です。

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最後は「三つ子の魂」というより、私の価値観に影響を与えたエピソードです。

私は7才のとき、両親の離婚が原因で奈良から熱海に転居しました。ときは1年生の3学期。転校生となったわけです。

新しい学校は、公立なのに「学校指定」のものが多く、給食着、体操着はまだ分かるとして、絵の具とか道具箱とか、いちいち高いものを注文させられるような雰囲気でした。

しかし、家は母子家庭。倹約しなきゃならないので、そんな物は買えません。

絵の具や道具箱はヤオハン(!)で買い、体操着は兄のもの。給食着に至っては、大人物の白いYシャツで代用するという、何か、可哀想なエピソードに聞こえますか、若干。

しかし、私が書きたいのはそんなことじゃありません。

その白いYシャツに、母が入れてくれた「刺繍」です。

今考えてもあの刺繍は巧かったけど、ちくちくと一針一針入れてくれたそれによって、Yシャツが特別な給食着になったのでした。

ちなみにこの原体験のせいか、私は残念ながら今でも「金で買える幸せ」に興味がありません。「金はなくても心はある」風の男に弱いのは、完全にあの刺繍のせいです(ぶつぶつ)。

Baird Beer「Teikoku IPA」

本日のビール研究は「Teikoku IPA」。

 

例によって農作業後だったため、旨い旨いって飲んじゃった。

つまり旨い。

パンフレット的には「ホップとモルトの個性が大胆に絡み合う」そうだけど、いや、単純にバランス◎