ゆかこの部屋

小さな幸せを集めて貯めるblog

生後9ヶ月│動く好奇心の塊

『ドア開けば、キラリと光る我が子の眼』

最近の我が子といったら、この一言に尽きるのではないだろうか。

身長70センチ、体重8.8キロに成長した我が子。7ヶ月ではいはいを始め、8ヶ月でつかまり立ち。見える世界が劇的に広がったようで、目に入るモノというモノ全てに好奇心を抱いているのだ。

ドアが開けばキラリ、引き出しが開けばキラリ、冷蔵庫が開いてもキラリと、常に目を光らせては、ペタペタと(はいはいで)近づいてくる。

親のいない隙にやらかすこともしばしば。ティッシュを箱から引き出す、ゴミ箱を倒して覗く、書類の箱を開けて舐め舐め、など枚挙に暇がなく、文字通り目を離すことができない。。。

ちょうど1年前「アクロバティックな女の子」だった胎児は、すっかりわんぱくな女の子に育った。

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今月のできごと│初めてのひな祭り

そんな我が子だが、3月にはいよいよ「初節句」を迎える。そこで向かったのは伊豆の実家。目的は稲取のつるし雛と河津桜だ。

自宅から実家までは車で3時間ほど。親一人、子一人の運転は少々緊張したが、大泣きされることもなく到着。

翌日には稲取&河津、翌週には函南でも一足早い春を堪能できた。

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ほか3日間はほぼ家にいたが、今回は夫抜きだったせいか、ばーば(私の母)の全力っぷりが凄かった。まるで自分がママかのように、甲斐甲斐しく子守してくれるではないか。私は楽で良かったけど、誇張でも何でもなく、「私はこの子の『姉』だったっけ?」、勘違いしかかった。

昨年末に祖母(母の母)が亡くなり、取って代わるように現れた我が子。私や夫だけでなく、母までも幸せにしてくれているようだ。

今月の一冊│センス・オブ・ワンダー

さて、こんな私だが、子育てにいちおうの目標がある。その一つは「自然の素晴らしさを分かる子になって欲しい」というものだ。

そこで、大きな公園に連れて行ったり、季節の花に触れさせたりしてきたのだが、正直、それ以上のことはなく、「ただ連れて行って帰ってくるだけ」だった今日この頃。

そんなとき、「子どもの感性を育てたければ、親自身の感性を磨け」

…というようなことを見聞きして、読んでみたのが「センス・オブ・ワンダー」だ。

センス・オブ・ワンダー(新潮文庫)

この本は、アメリカの生物学者レイチェル・カーソンが、甥っ子と一緒に海辺や森を探検した際に感じたこと、そして自然を感じる大切さを、子どもだけでなく大人に対しても伝えた本。

自分の行動にどこか不足を感じていた私には、肝に銘じたい点が多かった。

美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものに触れたときの感激、思いやり、哀れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたび呼び覚まされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります

あ、まさに。自然を通じて我が子に伝えたいのは、まさにこういう感覚だったかもしれない。

大人自身の姿勢としては、

私たちが住んでいる世界の喜び、感激、神秘などを子どもと一緒に再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、そばにいる必要がある

ことを認識しつつ、

もしこれが、今までに一度も見たことがなかったものだとしたら? もし、これを二度と再び見ることができないとしたら?

こういう目で世界を見よと。


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改めて考えてみると、前半で書いた我が子というのは、まさにこういう目で世界を見ているのだろう。大人からすると「何でこんなものに興味?」の連続だが、この好奇心を伸ばしてあげることによって、こんな人生が送れるだろうと結ばれている。

地球の美しさと神秘を感じ取れる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独に苛まれることは決してないでしょう。

生後9ヶ月。好奇心のままに動き回る我が子。それを追い回すのはしんどいときもあるが、元気(わんぱく?)なのはありがたいことでもある。そのガソリンが好奇心だとしたら、大切に大切に育ててあげたい。

生後7-8ヶ月│病気して強くなった!

「噴水のように吐く」というのを初めて見た。

12月30日の早朝。普段通りミルクをあげたら、「ごぼっ!ごぼごぼ…」と、その大半を吐いてしまった我が子。

突然のことに驚き育児書を開くと、噴水のように吐くのは「感染性胃腸炎かも」とのこと。

幸い嘔吐は2回で止まり、発熱もなし。ド年末でもあったので家で療養することに。離乳食を休み、ミルクも50mlから。

その日一日テンションは低かったが、翌日以降、徐々に元気の戻ってきた我が子。生後7ヶ月にして、初めて病気にかかったのであった。

子どもの病気は親が苦しむ

さて、今回のことで苦しんだのは、子どもより寧ろ大人である。翌12月31日。今度は私が嘔吐してしまったのだ。

私は「つわり」でも吐かなった、不調とは縁のない人間。なのに朝から、吐くものがなくなるほど吐いた。

晦日ということで夫がいたので、育児は任せて寝ることに。離乳食のストックを食べては、胃腸薬を口にする。午後には38度の熱が出て、頭はクラクラ、体はフラフラ。

そんな中、隣の部屋から聞こえてくるのは、「うわぁぁぁ!」という夫の悲鳴だ。泥水並みにゆるくなった子どもの下痢。それが漏れ、背中…ひどいときには首のほうまで回り、ベトベトになってしまうのである。

少なくとも1日5回は着替えたか。ありったけの服を着せてもなお足りない。夫には苦労かけたが、とはいえ私にはどうすることもできない。

熱にうなされながら、考えたことはただ一つ。子どもが生まれて以来、丸一日寝たことなんて一日としてなかった。きっと神さまが大晦日に、その機会をくれたのだと…。

病気で本当にパワーアップ

翌1月1日には、(予想通り)夫が不調。予定していた帰省は、その回復を待ち1月6日にすることとなった。

2ヶ月半ぶりに会ったばーば(私の母)は(予想通り)メロメロだったが、そんな中で「魅せて」くれるのが、何を隠そう我が子である。

実家に着いて数時間後に、いきなりハイハイを始めたのだ。それまでできそうでできなかったのに、夫と母の眼前で、堂々と。

その姿からは、こんな声が聞こえてきそうだった。「ママ一人だけに見せたんじゃ勿体ない。せっかくなら、パパもばーばもいるときに披露しよう。」

それにしても、災いは忘れた頃にやって来る。

初ハイハイで盛り上がったのも束の間。翌日にはばーばが胃腸炎になってしまったのである。高齢のため2、3日はゆっくり。片や、我が子は全くゆっくりしてくれない!

覚えたてのハイハイで歩き回り、テーブルの下に潜んでみたり、箱や扉を開けてみたり、猫でも飼ってたかというぐらい、目につくもの全てを、見て触って舐めまくる。

「赤ちゃんは病気するたびに強くなる」と聞くけれど、免疫だけが強くなるのではなく、どうやら全体的にパワーアップするもののようだ。

生後6ヶ月│日常を心地よく過ごすために

11月17日で、子が生後6ヶ月を迎えた。

身長69センチ、体重7.7キロ。頭は6ヶ月にしては最大級の大きさで、編んだ帽子がすぐに合わなくなった。

今月のトピックスは、何といっても離乳食だ。作るのも面倒だが、食べさせるのはもっと面倒。そこら中汚れるし、食べカスのせいで肌荒れまでするとは。

ところが、「あー…もうミルクだけで大きくなってくんねぇかな」などと心折れかけていた頃、6ヶ月の祝いも兼ねて母(以下、ばーば)が上京。早速離乳食を担当してもらうと、

「あ〜ん…はい、じょうずじょうず〜!」

などと声を掛けながら、楽しそうに食べさせているではないか!

子のほうも子のほうで、私への態度とはまるで違う。じたばたせず泣きもせず、気づいたら完食している。

「こ…コツは何なんですか?」

と聞いてみるも、ばーばは「肌が綺麗ですね」といわれて「え、何にもしてないよぉ〜?」と答えるタイプの人かは分からないが、とにかく教えを乞うには不適切なので、その一部始終をじっくり観察してみることにした。

それで分かったのは、私が私のタイミングで離乳食をあげ、酷いときには開いてもいない口にグイグイ突っ込んでいるのに対し、ばーばは子を見て、子のタイミングであげているということ。そうすることで、だんだん息が合ってくるようにも見える。離乳食は二人三脚なのか…。

ばーばが帰った後、なるべく子を見て、息を合わせるようにしてみたら、お、食べる食べる。それも、とっても嬉しそうに!

私がもたもたするせいか、完食にまで至ることは多くないけど、苦手意識は克服して離乳食は進んでいる。

今月のできごと

さて、もう一つ大きかったのは「保育園の申込」である。

少子化なのに保育園が足りない」という現象は、もちろん私の住む自治体でも起きている。1才になると入れにくいので、4月から入れるつもりで、園見学などしていたのだが………、

結論:育休延長することにした

それは、提出書類を全て揃え、市役所に向かっていたときのこと。次の信号を左折で、市役所に到着する。信号が赤になったため、ふと歩道に目をやると、よちよち歩きの子どもと若いお母さんが見えた。

まだ1才ぐらいかな。平日ぶらぶらできるってことは、保育園には入れなかったんだ。私は保育園に入れるから、ああいうことはできないんだな…。

と、突然悲しくなってしまったのだ。

市役所に着き後ろのドアを開けると、チャイルドシートの上でにこにこしている我が子。その何も分かっていない表情が、逆に後ろ髪を引きまくる。私はこんな子を置いて働きになんか行けるだろうか。

頭から湯気が出るほどのもやもやに襲われ、とはいえ、頑張って準備した書類だ。提出するだけはして、1週間ほど再考。結局以下の理由から、育休延長することに決めた。

・最初で最後の子どもだから、預けずそばに置いておきたい

・金銭的にも体力的にも、0才クラスに入れてまで働くメリットがない

・1才でも入れそうな園を見学してみたが、意外と悪くなかった

高齢ママの心身

保育園問題にカタが付き、カレンダーを見ていたら、12月12日は祖母の命日とあった。そうだ、あれから1年だ。

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昨年の今頃は、高齢妊娠したばかりで不安のほうが大きく、NIPT検査を受けその結果を待っていた。

それ次第では産めないかも…。祖母が倒れたのはちょうどそんなタイミングで、その後、息を引き取るのと引き換えに、胎児はどんどん大きくなった。

その胎児だった子は今、私の膝の上で私の作業を妨害している(汗)。今や日常と化したこんな光景だが、あの頃は奇跡とすら思えたことだ。

高齢妊娠は高齢出産を経て、今、高齢育児中の私だが、1年前と比較して思うことは、さまざまな困難を前に不安になることも多かった。けれど、それを放置することも立ち往生することもなく、糧にして具体的努力ができるようになった、ということ。「自分ひとりの人生じゃない」ということの意味かもしれない。

親として成長させてくれた子に感謝すると共に、自分自身も褒めてやりたい。

今月の一冊

先月に引き続き、「ミニマル子育て」について。500ページ以上を読み終わったので、今回はその実践編。

ミニマル子育てーー少ないは多いにまさる 子どもと親が育ち合う

本の内容は、モノやスケジュールの「断捨離」に近いが、それを推奨する理由として、《子どもにあれもこれも与え、詰め込みたくなるのは親自身が「不安」だからだ。親は子の「環境」である。不安な親に育てられたら、子はもっと不安だろう》と指摘しているのが、刺さった。その自覚あったから。

で、実践してみた感想は………良い!

一言でいうと、その日その日のタスクに集中できるため、雑念(不安?)が消えるのだ。

具体的には、モノの断捨離は文字通りとして、スケジュールの断捨離は、何曜日に何をするとかいうことを予め決め、その日以外にはしないようにしてしまうこと。

例えば以前であれば、朝起きてから「今日は何しよう?ごはんはどうしよう?」と考えていた。洗濯とか掃除とか片付けながら、その後のスケジュールを考えていたのだ。そのせいで「あれもしなきゃ、これもしなきゃ」と、常に心があくせくしていたが、現在は「〇曜日は子ども服を買いに行く。〇曜日はカレーを作る」というように予め決めてあるので、ただそれをすれば良いだけ。

子に対しても、「天気が良いから散歩に連れて行くべきか?行くとすればどこへ?」などいちいち考えるのではなく、予め決め、日中はただ実行する。

そうすると暮らしに余白が生まれる。その余白をどうするか。その答えはこうだ。

「あーかわいい」とか「あー幸せだ」とか、味わうことに充てる、と。体の中が温かいもので満たされる。

生後5ヶ月│離乳食という新たなステージ

10月17日で、子が5ヶ月になった。

体重、身長共に測っていないが、大きくなったのは明らか。片腕で抱えられた子が、今じゃお姫さま抱っこなのだ。

5ヶ月、といえば離乳食を始める時期。始める目安として「大人が食べるものに興味を示す」があるらしいけど、示す示す。毎晩、彼女の寝た後で大人が食べていることに気づいたか、寝ないで同席したがることが増えた。

増えたといえば、奇声や喃語も増え、キャーキャーウーウーよく叫ぶ、よく喋る。

これは「泣く」以外の発声練習らしいけど、気づけば「泣く」よりも「笑う」のほうがうんと増え、割合3:7ぐらいか。今まで「頑張って」育児していたのが、「楽しく」育児できるようになってきた。

もう一つ嬉しかったのは、胎児の頃から読み聞かせ続けた絵本に、ついに反応を示したこと。

私は子どもと遊ぶのが得意ではないため、いざ「育児」を始めるというときに、散歩と絵本ぐらいしか、できそうなことがなかったのだ。それで、いわば長過ぎる1日を埋めるために、意味も通じない絵本を読み聞かせ続けてきたのだった。

毎日毎日読んだ本は、今やお気に入りの玩具TOP5にも匹敵するレベルに。継続は力なり、なのだな。

今月のできごと

今月最大のできごとは、母が車をくれたこと。

買ってくれたわけではなく、自分の乗っていた車を。高齢になったのでそろそろ運転を止めるか考えていたところに、娘(私)が郊外で育児を始めた。それなら…という経緯。

子どもを乗せるとなるとチャイルドシートが要りけど、それも20年来の友人に貰い(ベビーカーなども貰った)、かくして私のカーライフが始まった。

実は私は、車の運転が大好き。子どもがいるのでやたらなことはできないものの、ちょっとした買い物はもちろん、今まで行きたくても行きづらかった大きな公園やショッピングモール、ロードサイドの外食など、行動範囲が劇的に広がり、多摩地域で暮らすのが10倍楽しくなった。

高齢ママの身体

車を貰って良かったことがもう一つ。それは身体が楽になったこと。

車が来る前の日記を見てみると、9月は夫のコロナ騒動もあったし、それでなくても猛暑の中、散歩に買い物に園見学に、徒歩、バス、電車で出かけまくっていたのだ。

食料品なんて買いに行った日にゃ、エレベーターもない古い団地の階段を、荷物と7キロの子ども抱えて上がるという、ランドセル両面背負いじゃないんだから…。あまりに具合が悪いので、更年期のせいにしては「命の母」を飲んでいたが、車を得た今は週に1回飲むかどうか。私にとっては、車をくれた母こそが、本当の命の母なのかも…←?

今月の一冊

そんな今月の1冊は、キム・ジョン・ペイン著『ミニマル子育て』。

ミニマル子育てーー少ないは多いにまさる 子どもと親が育ち合う

シュタイナー教育の先生が書いた本で、サブタイトルは「少ないは多いにまさる」。

500ページ以上を強引に要約すると、子どもには多くのモノを与えすぎるな、多くのコトをさせすぎるな。それでこそ大切なもの/ことに集中できる、というような内容で、子どもを取り巻く環境や暮らしのリズム、スケジュールの整えかた、その効能が書かれている。

私はモノの断捨離はできるものの、スケジュールを詰め込みすぎ(て疲れ果て)る傾向があり、それこそ車なんて貰った日にゃ、暇さえあれば出かけたくなってしまうので、モノだけでなくコトも減らす、という考えは目から鱗であった。

 

子育ては長い。整え整え、継続していきましょう。

生後4ヶ月になりました

9月17日で、子が4ヶ月になりました(書いているのは10月9日)。

体重は真ん中より少し重い7キロ。身長は65センチと6ヶ月児並みで、私に似たのか「のっぽ」傾向です。

3ヶ月半では寝返りを覚え、ところ構わずころりんころりん。夜通し寝るようにはなったものの、ベッドの上でもころりんするため、親の負担は減ったかどうか。

今月のできごと

今月最大のできごとは、パパがコロナにかかったことです。

あれは忘れもしない金曜の夜。週末にかけパパが育児に参戦するため、(私の心が)開放感に包まれていたときでした。

ところがパパは帰ってくるなり、ガラガラに枯れた声で「具合が悪い…」と一言。コロナ陽性を確信していたようで、自ら隔離部屋を作り、引っ込んでしまいました。

ガラガラと音を立てて崩れた週末の予定。私はそこから1週間、完全なるワンオペ育児を強いられることになったのです。

ちなみに「コロナ明け」とも聞く昨今ですが、発熱外来はきっちり混み合っていました。診てくれるところを見つけるのに、10軒ほど電話。最後は、私がキレ気味に拝み倒した(得意技)ということだけ、付け加えておきましょう。

高齢ママの身体

さて、コロナ罹患の原因を考えてみると、始まりは前週の金曜。その晩、急用ができたため、私がひとり実家に帰ることになったのです。子どもが生まれて以来、泊まりでいなくなったのは初めて。パパが丸1日ワンオペ育児をしてくれました。

土曜の晩には帰京し、日曜は3人で小金井公園へ。夏の終わりののんびり散歩…のはずがゲリラ豪雨に打たれ、身震いしながら帰る羽目に。

そこにトドメを刺したのが、生理前だった私の体調不良。生理が復活して以来、更年期症状も復活したのか、生理前に必ず1度は、恐ろしいほどの悪寒を感じるようになりました。それにより、夜中の育児(主に寝返り返し)ができないこと数日。パパに負担をかけてしまい、遂にはコロナ発症となりました。

何と…。

「コロナで1週間、ワンオペ育児を強いられた」と書きましたが、そもそもムリを強いたのは私のほうではないですか。

このように、高齢の子育てはムリが利かない。ひとりが倒れればもうひとりが倒れる、ということでもあります。

幸い、私と子どもはコロナにかかりませんでしたが、自分が「最後の砦」となったとき、普段は薬なんぞ頼らないのに、「葛根湯」や「命の母」を摂取しながら、頑張りすぎないこと、きちんと休むことの意味を噛み締めたのでした。

ほか、今月は保育園見学にもよく行きましたが、それについてはまた追って。

生後3ヶ月になりました

8月17日で、子が3ヶ月になりました。

出生時3キロだった体重は倍の6キロに。身長は10センチぐらい伸び、首もぐらつかなくなりました。

表情はますます豊かに。泣きの種類も笑いの種類も増え、最初はただ泣いて寝るだけの人形だったのが、人格ある子どもになってきました。

今月のできごと

初めての予防接種

泣きのバリエーションといえば、今月は初めての予防接種。

注射4種と経口1種を接種するのに、後ろから支えるのはママ(私)の仕事です。

「ジタバタ暴れたらどうしよう…」などと憂うヒマもなく、そのふわふわでぷよぷよの腕に、先生は刺す!刺す!刺す!刺す!容赦なく!

そのとき、

「うぎゃあああああぁぁぁぁぁ!」

と泣き叫び、荒れ狂う赤ちゃんと、それを必死で押さえる私。痛い、痛いよね!母の心も痛い!!

その声は待合室にまで響いたそうですが、幸い、接種後の副反応はなし。但し夜中に何度か、悲鳴のような寝言が…。よく頑張って我慢したので、この日ばかりは求めるだけ抱っこし、求めるだけミルクをあげました。

初めての帰省

初めてといえば、今月は初めての帰省にも挑戦。

初めての新幹線、初めての海、初めての花火…などなど、初めてづくしの中で印象に残ったのは、世のおばあちゃんたちの赤ちゃんに対する視線です。

これは都内(多摩地域)でもそうですが、世のおばあちゃんたちの、赤ちゃんに優しいことといったら!連れて歩けば「かわいいねぇ」「何ヶ月?」などと声をかけてくれるのです。

で、私の実家マンション。そんなおばあちゃんが多数暮らしているだけでなく、住民共有の大浴場(温泉)があるため、赤ちゃんが脱ぐともなれば野次馬たちがわんさか。「〇〇さん家の赤ちゃんだ!」と、おばあちゃんたちの間ですっかり有名人になったのでした。

高齢ママの頑張り

そんな帰省を機に、バスや電車に乗れるようになった赤ちゃん。外の世界は刺激的で面白いらしく、ベビーカーの上できょろきょろと首を左右に目を輝かせています。

といっても、今夏は史上最高の猛暑。出かけるのが憚られる日も多く、最初は躊躇したのです。ところが、家にいると怒る!「外に連れて行け!」と泣いているように聞こえる!外に出しさえすれば、機嫌は直ってしまうのです。

そのため、外出先をひねり出してはせっせと出かけている私。エレベーターなしの3階を、6キロ抱えて2往復、3往復。おかげで脚力はつき、腕は焼け焦げ、あちこち虫刺されの痕だらけに。

パワーアップした今となっては、あれこれ怖がっていた自分が嘘みたいですが、私の勇気や体力がないせいで、子どもの機会ロスになるのは避けたいところ。したいことはさせてあげられる親になりたいものです。

今月の一冊

さて、今月読んで感動したのは、おーなり由子・著『だんだんおかあさんになっていく』。

だんだんおかあさんになっていく

冒頭、赤ちゃんが「だんだん子どもになってきた」と書きましたが、私のほうも同じくだんだん「お母さんになってきた」ように感じるのです。

例えば帰省の荷物を準備したとき、子どもの荷物を準備して「あ〜終わった」と思ったのに、自分の荷物はすっかり忘れていたとか。例えばお風呂に入れたとき、赤ちゃんを拭いて服を着せ、ミルクまであげて寝かしつけたのに、私はずーっと裸だったり。

自分をそっちのけにすることが増えてきた中で、「まさに!」なこの本を見つけたのです。収められているのは、妊娠中〜2才ぐらいまでを綴った50篇ほどの詩。

どのページにも心当たりがありまくるけど、中でも響いたのは、

だっこ
だっこ

いっぱいさわってると
いっぱいかわいくなってくる

だっこ
だっこ

だっこしてるとおもっていたら
だっこされていた

ちいさいゆびが
わたしのせなかを
ぎゅっとつかんで

こどものうでのなかは
わたしで
いっぱい

『だっこ』

正直、抱っこなんて重いし暑いし、しないで済むならしたくないときもあるのです。

それでも現実として私は、1年前には影も形もなかった人と毎日抱っこし合う暮らしをしていて、その子はまるで神社とかにある巨木にでも抱きつくように私に全てを委ねてくる。そんな風に思ったら、改めて大切な宝物を授かったのだと、初心に帰ることができたのでした。

 

今週のお題「苦手だったもの」

生後2ヶ月になりました

5月17日に生まれた赤ちゃんが、生後2ヶ月を迎えました。

6月18日には早速、お宮参り&撮影へ。赤ちゃんにとっては退院以来初の外出でしたが、少し泣いたぐらいで、全体的に大きな問題はなし。

あったとすれば、撮影スタジオで頼んでもないのに3時間ぐらい撮られたことでしょうか。フラッシュの光を浴びまくり、大きな音であやされ(?)まくり、赤ちゃんだけでなく大人までもがヘトヘトに。

正直、もう二度と行きたくないですが、それでも感動したのは、この前までお腹にいた我が子が、外の世界に出て、私の作った衣装に身を包み、大人のスタッフさんたちと互角に渡りあっていたこと。最後には「寝る」という切り札で、長すぎる撮影を強制終了させ、「この子はきっとたくましく生きていける!」と何の根拠もなく感じたのでした。

その後、母子それぞれの1ヶ月検診を経て、24日にはばーば(私の母)が撤退。いよいよワンオペ育児の始まりです。

気合を入れて臨んだものの、初日の夕方には既にヘトヘト。考えてみたら、それまで2人でしていたことを全て1人でするのです。進めたい家事が全く進まず、何に泣いているのか全く分からず、思わず怒鳴ってしまうこと2回。しばらくすると後悔の波に襲われましたが、イライラするのは止められない。

そこで考えた対処法①は、「私も一緒に泣く」こと。

👶「わーんわーんわーん!」

👩「えーんえーんえーん!」

と、大人まで泣くのは異様でしょうが、怒鳴るよりよっぽど精神衛生上良いのです。泣けば思考がクリアになり、対処法が考えられる。「よし、ムリをするのは止めよう!」と、24日に帰った母を再び7月12日に呼び戻したのでした(結局)。

 

対処法②にして、効果てきめんだったのはこちらの本。

赤ちゃんもママもぐっすり眠れる魔法の時間割

イライラの中身を内省してみると、最大の原因は「時間に追われている」ことにありました。

時間は、追われるのではなく追うぐらいでなければ。スケジュールの主導権を赤ちゃんではなく、私が握らなければなりません。

この本の要点は、「寝る時間と飲む時間を赤ちゃんの体内時計に合わせてあげる」こと。そうすれば、夜中のギャン泣きや寝かしつけに苦労することが減るというのです。

実際に試してみると、た、た、確かに、夜にすっと寝てくれる!!!スケジュール通りできる日ばかりではないけど、育児のストレスが大幅に減少しました!!

そしてそれまで、「寝る前にぐずって困る」だの「空腹のとき死にそうなほど泣く」だのと、ぼやいていたのを恥じたのです。何のことはない。適切な時間に寝かせず、適切な時間にミルクを飲ませなかったのは私のほう。私の育てかたが間違っていたのでした。

 

ほか、新生児期に見られなかった新たな生態としては、

・笑顔が増えた

・自分の拳を口に入れるようになった

・自分で移動できるようになった(そしてベッドの柵にはまる)

など。

母の側も進化してきて、例えば機嫌が悪いにしても、退屈だったら外へ散歩、眠いのに眠れないだったら抱っこ紐に入れるなど、当たりがつけられるようになってきました。

進化といえば、たとえ夜中の授乳で起こされても、終わり次第3秒で寝られるようになり、寝不足とも無縁に。

赤ちゃんは日々当たり前のように成長するけれど、母の側も「母は強し」ならぬ、「母は強くなる」の途中なのです。

生後1ヶ月になりました

2023年6月17日。

5月17日に生まれた赤ちゃんが、「新生児」を卒業しました。

3kgだった体重は既に4kgを超え、ミルクの量もとっくに、新生児水準ではなくなりました。

助産師さんによると「成長が早い」そうで、確かに育児書を見ると、1ヶ月や2ヶ月で見られる生態が、もっと早くから確認できています。「両親が高齢だから早く成長してほしい」という願いが、通じたわけではないでしょうが。

母体はというと、産後うつ的なメソメソが2回はあったものの、連日の寝不足には何となく慣れたし、帝王切開の傷も、気づけば鎮痛剤なしで良くなりました。妊婦の名残を感じるのは、ぼてっと出たままの下腹部ぐらい。

兎にも角にも、落としたり飢えさせたりすることなく、1ヶ月は育てきった。一番の功労者は実家の母でしょうが、このご恩はきっと、子が「かわいさ」で返すはずです。

さて、新生児を育ててみて感じたのは、その成長がまさに日進月歩だということ。最初は「泣く、飲む、寝る、出す」しかできなかった子が、日々人間らしく成長し、さまざまな生態を見せてくれました。

その生態の多くは、忘れたくない、覚えておきたい、将来本人に聞かせたいもの。ということで今回は、特に印象的だった生態を書き残しておくことにします。

・真夜中の変顔大会

入院生活が辛かったことは前にも書きましたが、唯一心から笑ったのは、退院前夜のことでした。

それは深夜1時か2時。生まれたての赤ちゃんは夜行性だから寝ない…どころか、その目は、昼間にはなかった輝きを放っています。「どうせ明日退院だし、せっかくだから見届けてやろう。」そう思い眠い目をこすっていたら、突然の「変顔大会」が始まったのでした。

「あっかんべー」をしたり、「にやり」と口角を上げたり、舌を謎の形に動かしてみたり、生後4日間のどこで覚えたんだ?というぐらい、さまざまな表情を見せ、しかもそれが面白い。

私の子は、「せんとくん」または「ビリケンさん」に似ているのですが(関西の童子像系?)、そのクールな顔立ちからは想像のできない百面相ぶりに、寝不足のママはもう肩の震えが止まりません。

この生態はその後1回しか見られなかったので、見たのは恐らく私だけなのでしょうが、今後この子と生きていくことが楽しみになった瞬間でもありました。

おちょぼ口と乳首の戦い

変顔大会と同率1位に輝いたのは、おっぱいを吸うときの攻防です。何と戦っているかというと、赤ちゃんの小さな口と私の大きな乳首です。

私の乳首は、実家の母曰く「エアーズ・ロック」型。陥没こそしていないものの扁平で固くて、授乳に適した形ではありません。ところがそれを吸おうとするのだから、赤ちゃんはもう必死なのです。

まず、これ以上開けられない!というぐらいに大きな口を開ける。次に、顔を左右に素早く振って乳首の進入角度を調整する。仕上げに舌を巻きつければセット完了!

…のはずが、大体途中で挫折して、泣く。泣くとますます入りにくくなるので、もっと泣く。この世の終わりかってぐらい泣く。

最終的には顔を真っ赤にして「ふんぎゃー!」と叫びながら乳首に吸いつくわけですが、このいじらしさが、「NO CHIKUBI, NO LIFE」とでもいわんばかりの形相が、もう可哀想を通り越し、面白くて仕方ないのです。

最近は口が大きくなり、ぱくっと咥えれば済んでしまうため、こんな攻防劇も貴重な記憶となりそうです。

・リアルタイムうんち

赤ちゃんがいれば毎日目にすることになるもの。その一つが「肛門」ですが、私はその形が「*」であることを、育児して初めて知りました。

初めてといえば、初めて目にしたのが「うんちの出てくる瞬間」です。ある日、おむつを替えようとしたとき、黄色いかぼちゃサラダのようなうんちが、*からもりもりと溢れてきたのです。

それはシュークリームから漏れだすクリームなようであり、ソーセージの機械から出る挽肉のようでもあり、思わず「おおお…」と眺めてしまうほどの躍動感。「排泄」は大人でも毎日するものですが、といこんなにダイナミックなものだったとは、今の今まで知りませんでした。

 

というわけで、「育児」というより「飼育」に近かった気もする1ヶ月。

夜中に泣き声が聞こえれば、痛むお腹を押し押し、覗きこんだベットの中。手も足も出ずあたふたするときは、まるで野球のマウンドのように、大人全員がわらわら集まってくる。

そんなチームワークにも支えられた1ヶ月は、「しんどさ」よりも「面白さ」のほうが少しだけ優る1ヶ月でした。

この子に関わるのが今後云十年だとして、この1ヶ月は序章も序章。箱根駅伝に例えればまだ大手町でしょうが、ときに手を抜き息を抜き、長丁場をできるだけ楽しみたいものです。

ありがとう、赤ちゃん。

私の子から、私たちの子へ

2023年5月22日。

やっと退院できた日のことは、きっと忘れられません。

この日は、朝10時まで普通に療養。11時にベッドを引き払い、赤ちゃんは退院前最後の検査へ。12時過ぎに再度受け取ることになっていました。

午前中には夫が来て、実家の母は昼過ぎに合流。毎日面会していた夫と違い、母は初めての対面です。

「Oさーん(私)、赤ちゃん戻ってきましたよ」

助産師さんに呼ばれ、新生児室へ。最後に授乳と着替えをさせてもらいます。

この日の退院は3人。ほかの2人はさくさく支度を終えるのに対し、私の子は肝心なときに寝るわ、うんちするわで、20分ぐらい待たせて家族の元へ。

「わぁ…!」

と、待ちに待った赤ちゃんを、くしゃくしゃの顔で抱き寄せた母。

(やっと赤ちゃんを見せられた!)

と安堵すると同時に、孤独な育児から解放され、「私の子」が「私たちの子」になったのを感じました。

産院での育児は3日半。たかが3日半に聞こえるでしょうが、そもそも帝王切開の術後で、注射だの投薬だのとひっきりなしに人が来る。そんな中、おっかなびっくり抱っこして、おむつ替えにも四苦八苦。3時間に1回は、やれ母乳だ、やれミルクだと追い立てられる日々でした。

同室中はいつギャン泣きされるかと緊張して眠れず、かといって新生児室に預ければ、空いたスペースがもの淋しくて眠れない。

疲れがピークに達したのは同室2日目の夜。私が見るからに疲れていたため、助産師さんが赤ちゃんを預かってくれたときのことです。

1時間ほどして授乳の時間になり、深夜の新生児室へ迎えに行くと、私の子が聞いたこともないような大声で泣き喚いています。思わず強く抱き抱え、「ごめんね!ごめんね!」と泣きながら謝りました。

後から考えれば、ただ空腹で泣いているだけだったのですが(日常茶飯事)、あのときの私は「子どもを捨てた母親!」と責められたような気になって、ほかのママたちもそこにいたのに、涙を自制することができなかったのです。

睡眠がほとんどできないため、実質的に3日より長い3日間は、「死闘」としか表現できない3日間でもありました。

 

さて、そんな長く暗いトンネルのようだった入院暮らしを終え、今、私の家にはこの子を見守る眼差しが1人から3人になりました。それは新米ママである私を見守ってくれる目でもあり、支えてくれる手足でもあります。

夜中にギャン泣きされては「やれやれ…」と共に頭を抱え、くるくる変わる表情を見ては「かわいいね」と顔を見合わせる。

育児の苦しみは分け合うと軽くなり、育児の楽しみは分け合えば増えるのでしょうか。そんなことを考えるとまた、涙がこぼれてくるのでした。

長い育児はまだまだ、始まったばかりです。

44才の初産(妊娠38週3日)

2023年5月17日に、元気な女の子を出産しました。身長49.5cm、体重3052のgの標準的なサイズ。帝王切開での出産でした。

分娩入院したのは5月15日早朝。ベッドから出ようとしたときに少量の破水があり、最初は「おしるし」かと思ったがどうも違う。出勤間際だった夫と共に産院へ連絡。そのまま入院することになりました。

ところが、陣痛待機すること丸1日。「破水した人の8-9割は24時間以内に(陣痛が)来る」というのに、待てど暮らせど来る気配がありません。

そこで入院2日目は「陣痛誘発剤」で陣痛を起こすことに。しかし、「陣痛風のもの」に悶絶するばかりで、翌日の早朝には、それも収まってしまいました。

今回初めて学びましたが、出産の準備が整う(子宮口が開くなど)には、薬による「陣痛風のもの」ではなく「自分の陣痛」が来なければなりません。

そこで入院3日目も「陣痛促進剤」で陣痛を…(以下同文)。

丸1日の待機+丸2日の悶絶を終え、産院側は「しょうがないのでまた明日…」という雰囲気でしたが、こちらは破水している身。更に薬の副作用か血圧は上がるし発熱するし、これ以上、母子ともに保たない!ということで、最後は帝王切開するかしないかということに。

急転直下の展開で、15:00に施術が決まり15:20にはオペ室へ。「初めての手術…!」と緊張する暇もなく、剃毛され、ストレッチャーで運ばれ、てきぱきと麻酔をかけられた私。

まるで2日間の悶絶などなかったかのように、赤ちゃんはものの15分で取り出されました。ふぎゃあふぎゃあ!とよく泣いています。

麻酔のため、動くことすらできなかったけれど、横目に垣間見たその子は、小さくてまん丸でふわふわで、ひとりでに涙が流れてきました。「この子が私の中にいたんだ…!」と。

にしても、あれだけ陣痛が来なかったということは、ひょっとしたらまだ外に出たくなかったのかもしれない。にも関わらず突然出してしまった上に、まだ面会もできていないけれど(私は寝たきり)、今日か明日には迎えに行くから、こんなママでも待っててね!!

さて、今回の妊娠&出産。母である私は44才です。統計*1によれば、初産の平均年齢は30.9才。また35才以上は「高齢出産」と呼ばれることからも、この年齢での初産がいかに珍しいことか分かります。

妊娠検査薬で「陽性」が出た日のこと、今でもはっきり覚えています。その夜は夫(となった人)が来てくれました。その姿が見え、隣に立ち、その指に触れた瞬間、言葉よりも先に涙がどっと溢れてきました。突然のことに対する驚き、高齢出産に対する恐怖です。

そんな感情に2、3日は支配されたでしょうか。夫(となった人)も不安がるばかりで、全く頼りになりません。そこで私が行ったのはまず、「闇雲に不安がらないこと」でした。

涙の中身は「驚き」と「恐怖」だけだったのか。いや、違う。きちんと感情を整理すれば、赤ちゃんを授かったことに対する「喜び」もあったはずだ。であれば、恐怖は潰せるだけ潰し、喜びだけを残したい。

「高齢出産はリスク」というが、果たして本当にそうなのか。調べられることは調べ、計画できることは計画し、絡まりあった毛糸をほどくように、不安を消していきました。

いよいよ産むことを決断できたのは、妊娠発覚から2ヶ月後、出生前診断の結果を受けてのことでしたが、そんなことは意に介さず、赤ちゃんはすくすく育っていました。

 

今、十月十日の妊娠期間を終えた私。

幸い、最初の1ヶ月(つわり)と最後の1ヶ月(臨月)以外は体調が良く、ほぼ安定期のように過ごすことができました。

さすがに、出産まで安産に、とはいきませんでしたが(悶絶からの寝たきり)、もしも今、あの日の自分に伝えるとすれば、高齢出産=さまざまなリスクとの闘い。だけどリスクはリスクであって、決して回避できないものでもないということ。

そして今、母となり子育てを始める私。

この年で、貴重すぎる機会を与えられたこと。私がこの子を幸せにすると同時に、きっとこの子が私を幸せにしてくれるだろうということ。間もなく更年期という中で、リスクがなくなることは今後もないだろうけど、それを克服するだけの運と能力が私にはあるはずだ!ということ。

出産直後の「万能感」かもしれないけど、今はそれが、未来の自分に伝えたいことです。

*1:2021年、厚生労働省の人口動態調査