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東京百景

足元にある小さな幸せをコレクションするブログ

半径10メートル以内を大切にする

大好きな人物がいる。

この人の姿を見るために猛ダッシュできて、この人の声を聞くだけで涙が出る。理屈じゃなく大好きな人だ。

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あまりにも好きなので、その理由を考えてみた。

ひとことでいうなら、「半径10メートル以内を大切にする」人。身近な人間関係をとても大切にしていて、その出会いに感謝している。だから人からも大切にされる。

大きな野望はない代わりに、人望にだけは満ちている。その、誰も傷つけることのない純度の高いポジティブさに、惹かれるのだと思った。

 

ちょうどそんなとき、こんな本に出会った。

日常のイライラ。原因の多くは人間関係。誰かのことを邪魔に感じる。そんなことはないだろうか。

そんなイライラの原因は、「ヒトをヒトでなくモノと見る」自分の心にあるらしい。

ヒトなのにモノのように扱い、自分の都合で利用しようとする。その人自身を尊重しない。逆に利用されることがないように、警戒するというイライラもあるかも。

だけど、こんなことを繰り返してる限り、信じることなどできないのだ。好きになることもなければ、大切にすることもできない。幸せから自ら遠ざかってしまう。

その点、私の好きな人は、これが徹底できている。

分け隔てなく接する。10メートル以内の人間関係を大切にする。そして、与えてもらった幸せに感謝する。

見ず知らずの1億人に影響与える人よりも、よっぽどこっちが合理的だと思う。私もこれを、習慣化したい。

小さな暮らし、小さな商い|東京都小金井市

小金井市にある「江戸・東京たてもの園」に行ってきた。

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ここは、江戸~大正辺りに建てられた文化的価値の高い建物を移築、復元して展示する屋外博物館。

建物だけでなく、古き良き街並みや武蔵野の農村も再現され、私が東京市部で最も好きな場所でもある。

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荒物屋さん。

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仕立屋さん。

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和傘屋さん。

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文具屋さん。などなど。

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ここを歩いていると、かつての日本人が、それぞれ小さな商いを頑張り、小さな暮らしを楽しんでいたことが分かる。

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それに比べて現代は、便利になって、可能性も広がった反面、商いも暮らしも大きくなりすぎ、ストレスになってしまっている、気がする。
例えば、インターネットで世界に繋がる。これだけ聞けば良い気がするけど、欲に際限がなくなるというのか、「○○ができる。××もできる」となった代わりに、「○○がしたい、××もしたい。でも、できない」というような、不安や不満も増えた気がする。

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江戸っ子は「宵越しの金」をもたなかったらしい。

過去を悔やむこともなければ、未来を不安視することもない、「今、ここ」だけの精神は、あれもこれも求めずに、小さな暮らしと小さな商いを楽しむことでのみ実現できたのかもしれない。

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大きな商いで大きな金稼いで、大きな暮らしを楽しむ。そういう現代人のスタイルは、そろそろ限界なんじゃないのかな。生理的に。

目標は「女らしく」働くこと

すっかり新年度ですが、皆さん、目標はありますか?
私の目標は、「勉強して力をつけて、仕事で成果を出すこと」。
って書くとストイックっぽいですが、単に仕事が多すぎるから、スキル不足でやってらんねーってことです。

ちなみに、これまでは肩肘張って男みたいに頑張ってきましたが、2017年の目標は「女らしさ」。
女らしく穏やかに働き、その上成果を出すとなると、人に気分よく動いてもらうことが必要。後輩を怒鳴り散らして動かすより、やっぱ勉強が必要なのです。

そんなことを考えていた矢先、出会ったのがこの本!


「困っている人を助けてばかりいたら、結果、自分のミッションができなかった」みたいな、真面目な女だからこそあるあるな問題に、判断基準を示してくれています!
そうだよな。会社は私に、髪ふり乱して頑張って欲しいわけではなくて、後輩なりを教えながら、組織で成果を出して欲しいんだよな。
ってことで、モチベーション上がり中。会社って、給料くれて、勉強の実践させてくれて、その上人の役にも立たせてくれるありがたい存在ですね。

断捨離で自己啓発との決別を

本棚に入らなくなった本を、ブックオフで処分した。

その顔ぶれを見てみると、13冊中6冊が自己啓発書。考えてみれば20代後半~30代前半は、自己啓発ばかりしていたものだ。

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私と自己啓発との関係は、27才でリクルートに入ったことから始まった。

リクルートという会社は、優秀な人が多いことで有名だが、私の配属された部署は、中でも精鋭揃いだった。

その頃の私は、OL稼業が初めて。その上、日本に1年いなかったため、まともに口も利けず、毎日がとても苦しかった。

しかし、人がどんなに苦しかろうと、会社は「成長」を求めてくる。キックオフや表彰式だけでなく毎朝のミーティングですら「思考は現実化する」など自己啓発ワードのオンパレード。ただでさえ優秀な人たちの、不断の努力を見せつけられた。

ほどなく私も「この通りにすれば成長できる!」と、大いなる勘違いを。自己啓発書を読み、理想の自分を思い描き、行動に移し、現実とのギャップに苦しみ、また読み、動き、苦しみ、の連続。

そして今回、本を処分することにしたのは、決して「理想の自分」になったからではない。「少しは成長した現実の自分」を受け容れられるようになったからだ。本を読み、行動したことで、「自分の身の丈」が分かったともいう。

今考えれば、自己啓発には苦しみが伴う。理想を高く置きすぎると、現実の自分を否定しなければならないからだ。しかし、なれもしない自分を目指すより、少しは成長できた現実を受け容れ、大切にしたほうが幸せを感じるなら、そういう卒業の仕方も、ありなのかもしれない。

「想像力」は仕事の基礎力

ちょっとした自慢だが、私は仕事が早い。

昨日、担当業務が遅れている人のサポートに入り、その人が2日かかっている仕事(資料作成)を代行したら、50分で完了した。

この差は一体なんなのか。専門知識でもPCスキルでもない。「立場が異なる人の頭の中身を想像する力」であった。

 

よく会議などで、こういうことはないだろうか。
1)説明が意味不明
2)説明は分かるが「だから何?」って感じである
結局、どんよりした空気の中、認識合わせばかりに時間がかかり、会議が長引く。

しかし、互いに想像力を発揮しあえば、こういうことは減らせるもので、

説明する側の人は、
1)分かっていない相手に分かりやすく説明するのはもちろん、
2)自分のしたいことを明確に伝え、適切な協力を受けながら進める努力をする。

また説明される側の人も、
1)分からなければ、どこが分からないのか明確に伝え、
2)協力できることや次のプロセスを、when、who、whatレベルではっきり伝える。

要は、相手だけのせいにするなってこと。互いに努力すれば、プロジェクトがぐずぐずと遅れることはなくなり、不信感や関係性の悪化も避けられる。

と、偉そうなこと書きながら、別で指導している新卒2年目男子に対し、「説明が意味不明!」と毎日怒鳴り散らしている私である。「協力」などとはほど遠い(自戒)。

人生は、点より線がきっと大切

ここ最近、面倒な仕事ばっかやらされ、顔はどんどん老ける一方。夜中のオフィスで3度は涙が出そうになり、嗚呼、もうそろそろ会社辞めよう…。

と思っていた矢先に、褒められるわ、表彰されるわ、忙しすぎて逆に同僚と仲良くなるわで、復活しかけの昨今。

一方ライターの副業は、忙しすぎてもう書けない…。と思っていた矢先に(?)、やたら早く書けるようになり、嗚呼、渦中に自分をぶち込んでみると案外成長できるんですねって、

「給料は上げないけど成長だけはさせます」という、結局、会社の思うツボじゃねーか!チキショー!!

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さて、先日呆けた祖母に会って気づいたのは、人生は毎日が大切ということ。

達成意欲高く、夢とか目標とかいう「点」にばかり気を取られると、そこと現実とのギャップに目が行きがち。

だけど、老いてなお思い出すのは、決して達成したことばかりではなく、その渦中で頑張ったこととか、人と力を合わせたこととかいう「線」なのだとしたら、今、私はまさに、その中にいるんだと思った。

そして今日は、私が会社辞めたいっ!という衝動で連絡した人と飲み行って、「すいません、辞めなくて…」などといいながら、それぞれの生きる「線」が面白いこと三昧。

そして帰り道に思った。なんだかんだ私は恵まれてるって、毎日思えることが幸せなのだ。 

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いつか老いるその日のために

91才になるおばあちゃん(祖母)が、私の名前を忘れていた。

子供の頃、夏休みには毎年面倒見てもらって、私の趣味トップ3に入る「編み物」だっておばあちゃんに教えてもらった。

そんなおばあちゃんが、私の名前を忘れていた。

私は忘れられたことよりも、人の能力をここまで低下させる「老い」というものに驚いた。やがて私も長生きすれば、こういう日が来るのだと思った。

ところで、年を取ったおばあちゃんは、昔のことだけはよく覚えている。「人生」というものが人の数だけあるなら、呆けても尚よく覚えていることが、その人の人生の中核なのだろう。

私は今37才で、結婚もしていないからまだ、「人生はこれから」と思っているようなところがある。だけど事実として、37年分の過去はしっかり積み重ねているわけで、いわば毎日が本番。どこで中核を過ぎるか分からないのだ。10代じゃあるまいし、いつまでも助走気分でいるのは、大きな間違いじゃないかと思った。

自分が本当に大切にしたいこと、それを見極め、選択する。呆けても尚忘れたくない記憶をたくさん残すことが、いつか老いる自分のために、今、できることなのかもしれない。

能天気な人なりの役割

実家の母から「ブログにあまり貧乏だったって書かないで」とクレームが入った。

母からすると「貧しかったわけじゃない。ケチケチしてただけなんだ」そうで、それを「貧乏」と呼ぶことに、とても抵抗があるらしい。

確かに、本当の貧しさを経験した人からすると、現代の相対的貧しさなんて豊かだ、という意見もあるだろう。けれど私は「子供の頃、貧乏で良かった」とポジティブに書いている。何がそんなに不満なのか。うーん。

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その日、私はジョギングに出て、よくTVに映る熱海の街の景色を見た。

私が育った温泉街には、主に東京から多くの観光客がやって来る。ホテル(の美容院)で働いていた母は、そんなたまたま出会うようなお客さんを、1人1人自分のお客さんにして、やがて自分の店まで開き、子供2人を育てあげた。

縁もゆかりもない土地に、今の私と同い年(37歳)で来て、ほぼ専業主婦だった人が逃げも隠れもせずやりきったという苦労を、娘の私は「貧乏だけど、楽しかったよ!」と能天気に笑う。

母を怒らせたのは文章ではなく、その苦労に対する理解の欠如だったのだ。

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…とはいえ、理解したから書かないということにはならない。苦労は苦労。なかったことにはならない。

私にできることは、一見ネガティブそうな過去をポジティブに解釈することだけ。卑屈になるのではなく、それを踏み台に生きることが、能天気な私の役割なのだ。だから、どんなにクレーム受けようと、私はこれからも、書く。

日常は、いつか夢見た非日常

私は、東海道本線が好きだ。

実家のある熱海からは、西へ1駅行けば富士山を一望できたが、私はどちらかといえば、東へ1駅行って相模湾を一望するほうが好きだった。

これは海が好きというより感覚の違いで、西へ向かうことが「通学」という日常行為だったのに対し、東へ向かうことが「上京」という非日常行為だったから。私にとって相模湾は、東京行きの電車とセットだったのだ。

高校を卒業して、東京で暮らすことになった20年近く前の3月。東京駅で中央線に乗り換えるときの、胸躍るような感覚は今でも覚えているけれど、

20年後、東京駅の真ん前で働くようになった今、そこはただの通勤路になってしまった。

目の前の世界が当たり前になると、そこにいられることへの感謝も、それを獲得した自分へのねぎらいも忘れる。

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最近私は仕事漬けだ。こんな毎日を夢見たつもりはなかった。

しかし、夢見た街に暮らしてはいるのであって、そう考えれば苦楽合わせて、18歳の私には想像できなかった体験をたくさんしているような気もする。

要するに、幸せを決めるのは場所ではない。自分自身がそれをどう評価しているかだ。