ゆかこの部屋

小さな幸せを集めて貯めるblog

田舎の人になる覚悟|島根県津和野町

1泊2日で島根県津和野町/吉賀町に行ってきました。

島根県が主催する「Meets My Life」というプログラム。

実は1年前にも参加した私。今考えればこれきっかけで、本当に「移住」することになった私。

集大成となる今回の旅で、見聞きしたこと、感じたこととは?

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2日目は津和野町へ。

今も里山の風景が残る須川地区を見学して、こんにゃく作りにチャレンジ!

 

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材料を混ぜて丸めて茹でれば完成

昔ながらの暮らしを受け継ぐために、地元の皆さんが続けてきた不断の努力について聞く。

って書くと堅いけど、印象に残ったのは皆さんの関係性。「仲良く、楽しく」が難しい努力をも可能にしてきたって、その姿から伝わってきました。

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この景観を守るための草刈り、害獣駆除etc.

次は町に戻り、「厨ファミリア」へ。 

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名前の由来は、ガウディのように未完成でありたいから

ユースホステルだった建物を、津和野高校の生徒とリノベーションしたもので、その代表であり、津高の教育魅力化コーディネーターでもある中村さんの想いに感動。

生徒と関わる中で聞かれた「居場所が欲しい、基地が欲しい」って声を一緒に形にしたんだって。せ、先生~!!!←感動の表現 

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須川の長老・大庭さんの誕生日も祝う

最後は津和野の街歩き。

運良く「SLやまぐち号」が来たり、(個人的には)旧・祖母の家を見たり墓参したりも含め、懐かしい津和野を堪能しました。


SLやまぐち号

やっぱり、この町が亡くなったらイヤだ!!

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津和野といえば鯉

といいつつ、結局のところ私なんか、遠い東京で祈ってるだけなんだけど、今回のように現地で、町を残そうと本気で頑張っている人に会うと、その「覚悟」に対して尊敬すら覚えます。

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津和野町/吉賀町は、ただでさえ人口の少ない島根県の中で、最も不便な地域にあります。それでもここが好きだから、と暮らし続ける人は、必然的に町の存続を担うのであり、地域との共助を求められるのです。

自分のことさえ考えてれば暮らしていける都会と違って、自分と他者の想いを重ね、仲間になっていくこと。一緒に形にしていくこと。それには不断の努力が要るし、楽しいことばかりではないはず。

だけど、本当に大切なものがあるから、残したいものがあるから、それを受け容れる覚悟ができる。だからこそ、覚悟ある人の言葉は、強い。

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というわけで、1年に及んだ私の移住ツアー。

集大成となる今回は、「田舎の人」になるって覚悟が、少しだけ固まったような気がしました。

私の残したいものは…古き良き暮らしと、ビールのあるシーン…かな…。

まだ曖昧だけど、方向性は違ってないはず!!

再掲になりますが、移住の先輩がた、マネさせていただきます。 ぺこり。

田舎の人になる覚悟|島根県吉賀町

1泊2日で島根県津和野町/吉賀町に行ってきました。

島根県が主催する「Meets My Life」というプログラム。

実は1年前にも参加した私。今考えればこれきっかけで、本当に「移住」することになった私。

集大成となる今回の旅で、見聞きしたこと、感じたこととは?

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1日目。羽田からのフライトは、昼過ぎには石見に到着。

その気になれば島根なんか近い。そんな感覚を味わいながら、バスは一路、吉賀町へ。

最初の訪問先は、自称・日本一人が来ない本屋「音鳴文庫」。

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3.11の震災を機に、ライフスタイルを見直すことにしたオーナーの八木さん。縁もゆかりもない土地で、人の助けを借りながら開業に至った、その経緯を伺いました。

できない理由よりもできる方法。不便な中にもそれがある暮らしが、ここにある。

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ぼろぼろの古民家を仲間で直して本屋さんに

次の訪問先は、オーガニック農家、三浦さんの農園。

昨年のプログラム参加者である中島さんが、移住して農業研修を受けているところでもあり、移住までの経緯や現在の暮らし、受け容れ側である三浦さんにもその想いを伺いました。

里山を残すには耕す人が必要。だから自ら後継者を作るんだそう。

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1日目の最後は、「欅がるてん」で大交流会。

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「東京組も吉賀組も、同じ釜の飯食って仲良くなっちゃってよ」ってことで、今年も地元の食材でふんだんにもてなしていただきました。

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イノシシ鍋始め豪華メニューが並ぶ

私はというと、移住の先輩である中島さんに、「で、ぶっちゃけどうなの?」を聞いてみた。移住してどう?寂しくない?etc.

その答えはというと「移住して正解だった」。

これは中島さんに限らず、全員がそう答えた質問で、まぁ、正解だと感じるから続いていて、交流会にも来るのだろうけど、「だからって自分にも正解とは限らない」とかって、冷めた顔をするのは建設的ではない。

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ここに「移住を成功させたい」自分がいて、目の前に「移住して正解だった」といっている人がいるなら、ここですべきことは、そのプロセスを真似ることだ。

「正解」と感じるからには、そこに至るプロセスがある。成否のカギはそこにあるのであって、移住を選ぶか自体にはない。

人生は統計じゃないんだから。

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夫婦で移住した「みずとき」さん

ここまで書いて、自分でうすうす分かってきた。成否のカギは、自己開示と関係性構築にありそう。

…うんうんうん、苦手だぜ!!!

ってことで、移住の先輩がた、マネさせていただきます。 ぺこり。

▽昨年の感想文

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この当たり前の日常を

秋風が冷たくなると、切ない気分が強くなる。年末が近づいて、また年を取るのを感じるからだ。

今年も変わらなかった、のか、今年は変わった、のか。

変わらなかったのが切ないのは若い頃の話で、変わろうとしてもまた切ないのは、年を取った証拠だろう。

まだ、変わらなければならないのかと。

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この当たり前の日常を、早く愛せるようになりたい。

慣れても飽きても続く人生を、味わい尽くしてなお、これが人生だといいたい。

安心という退屈を、安定という怠惰を、欲している自分がいる。

安曇野行き〈番外編〉

穂高養生園にて、「エンジェルカード」なるものを引いた。

エンジェルカードとは、オラクルカードともいわれるものです。あなたが進むべき方向に何か迷いが生じたときや、今日の運勢、そして一日の過ごし方の方向性を知りたいとき、何か新しいことをはじめるときなどに、どの方向へ進めばいいのか教えてくれます。

エンジェルカードは、1枚引けば、そのカードから読み取ることのできるメッセージを、そのまま今の自分にあてはめて受け取ればいいだけです。タロットカードのように、むずかしい解釈は必要ありません。

ということで、「篠山に行くべきか」というのを占ってみた。

答えはresponsibility。責任だった。

責任を持ちましょう。

あなたはあなたの意志を体現していく自由があります。

そしてその自由は責任を持ち続けることによって、さらに解放されていくことを知っていてください。

それはあなた自身があなたに対しての確信を維持することに繋がっていくことでしょう。

そう、あなたがあなたであることに自信を持って意志ある行動を責任を持って続けていきましょう。

昨夜読んだ本と符合するようでちょっと怖いが、行くからには覚悟を決めなさいと、自分で責任を取るからこその自由だと、いわれているような気がした。

 

続いては、母の想いについて1枚。移住に反対なのだろうか。

答えはcompassion。慈愛という意味らしい。

慈しみ愛しましょう。

あなたが存在することを許している、この大きな存在の深い愛の慈しみに、あなたのすべてを委ねましょう。

そう、そこには恐れも怒りもなく、ただ深い優しさがあるだけです。

そう、本来あなたはそこに魂をおく者なのです。

そのことを思い出し、いまもまさにその愛のたなごころの中に微睡んでいるということを感受し、あなたもその愛をこの広い世界に向けて発していきましょう。

だって。

薄々感じてはいたが、口うるさいのはやはり母の愛情ゆえか。

 

さて、ここまで当たると占いたくなるのが、あの人のことである。

5年もの間大好きだった人について。

答えはcontentment。幸福感。

幸福感を味わいましょう。

あなたが到達している、いま現在にしっかりと意識を向けてください。

ここまでの道のりは決して平坦ではなかったはずです。

あなたはその努力の結果でいまここにいるのです。

まだまだだと先を焦る気持ちがあなたを突き動かすことは理解できます。

ただ先ばかりに気を取られ、いまの喜びを味わうことを忘れないでください。

そしてその幸福感を感謝とともに迎え入れましょう。

うーん。

ですよね!

ですよね、しかない。

私はあの人に好かれるため、結構いろいろ頑張ってきた。そしてこれからもその努力を続けるだろう。先なんかなくたって、ただ努力を。

そしてその成果を、今それなりには得ている自分に少しは満足してもいいのかもしれない。

 

エンジェルカード…買おうかしら。

引用元:Messages from the Angel Cards

安曇野行き〈後編〉

長野県安曇野市にある「穂高養生園」に行ってきた。

このところ忙しくて疲れたのと、今、人生の転機にあるらしいので、一旦俗世と距離を置いてみようと。

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土曜日、高速バスがちょうど安曇野に着く頃、母から1通のLINEが来た。

韓国に行ったときと同じように突っ走っているようで心配

さすがは母。なかなか鋭い。

「韓国」というのは、私が25才のとき、新卒で入った会社を辞め、日本語教師になるために韓国へ渡った話である。入った学院が実は倒産寸前で、1年契約のところを半年でおめおめと帰国。その後ちゃんとした学院に入り直しはしたが、そんな娘が40才を前に、また移住(転職)しようといている。勢いあまって、似たようなことにならないか、ということであろう。

母からのLINEは、「寂しがり屋なのに大丈夫か」「転職先に利用されるのでは」「手垢のついた人を日本人は好まない」(←?)など不安が膨らみすぎている感もあったが、実は安曇野に来たのは、私自身も不安だからだ。

移住(転職)が決まったのはいいが、トントン拍子過ぎて、自分がスピードに追いついていない。「本当に移住するんだっけ?」を改めて考えようと、まずは寝てみたのが土曜日だった。 

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明けて日曜日は、晴れ。

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里のテラス

心も体も復活したので、朝食前に、周辺の森を散策。

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朝の散歩道

結論が「降りてきた」のは、中房川の清流を目にしたときだった。

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この川。

清い水の流れ。

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全ては自然の「仕事」であり、人間の「仕事」なんてせいぜい、橋を架けたとかそんなものだ。

私が移住したいのは、この「バランス」の中で暮らす人になりたいから。

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大きな自然の中で、小さな人間として暮らす。

人間だらけの都会で、どっちが大きい、どっちが小さいという争いをするのではなく、 田舎で出会った多くの人たちがそうであるように、自然の力を借りて暮らし、故に謙虚でありながら、本質を突く言葉を発する。そういう人になりたいのだ。

tokyo100k.hatenablog.jp

そんな中において、「篠山の古民家でビール醸造」は、「いつか移住する」の「いつか」を「来年」に決めたきっかけに過ぎない。ダイレクトに農業や地域おこしがしたいわけじゃないけど、ビール醸造ぐらい好きなことなら、と移住したい背中が押された。

ところが母には、こういう前段を抜きに「リクルート辞めてビール醸造」に聞こえてしまった。そりゃ、韓国並みの唐突さを感じさせても当然である。

 

ということで改めて、移住の動機を確認することができた。

慣れないコミュニティに入れば、寂しく感じることはある。人と一緒に働けば、利用されてると感じることだってあるだろう。

だけど、迷うときは立ち返る原点さえあれば、挑戦を続けることができるってこと。障壁となるものを取り除くために、コミュニケーションという方策が与えられてるってこと。

今の私は、それをもう知っている。

だから、大丈夫です。お母さん。

 

(ちゃんとした真面目な回答は、調査&計画の上で報告します)

安曇野行き〈前編〉

長野県安曇野市にある「穂高養生園」に行って来た。

このところ忙しくて疲れたのと、今、人生の転機にあるらしいので、一旦俗世と距離を置いてみようと。

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本編に入る前に、穂高養生園とは、安曇野の山あいにある静養施設のことである。

西村佳哲さんの「一緒に冒険をする」によると、「食事・運動・休養こそ自然治癒力を高めるという想いから」開かれたところで、やたらに治療しなくても人間には本来、自分で生きていくための凄い力が備わっているのだそうだ。

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穂高養生園「里の家」

ここでの暮らしは、10:30の朝食と17:30の夕食以外は自由。

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1日2回のマクロビ食

森の散歩やヨガは滞在費に含まれているが参加しなくても良い。

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そこかしこで季節を感じる

私はというと、土曜日の15:00に着いて以降、とにかく温泉→寝るの繰り返し。本来なら散歩でもするところだが、雨に甘えて寝まくった。ここは休むところだ。動きたくもないのに動くことはない。一切のことを気にせず、母からの連絡も返さず。

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雨の中庭

夕食だけ起きてまた寝て、復活したのは21:00だった。

といっても、母からの連絡に返す力はなかったので、書棚にあった臼井吉見という人の、「自分をつくる」という本を読んだ。1986年に刊行された中高生向けの本だが、今の私にも響くところは多く、人の目とか、正論とか、同調圧力とか、日頃、どれだけ多くのものに動きたくもないのに動かされていたかを感じた。

臼井先生曰く、自分の人生は自分で決めろ。それが責任だ、とのこと。

22:00、母からの連絡にどう答えるか、なんとなく方向性が見えたところで、消灯。

(次回が本編です)

 

コミュニケーションをあきらめない

私の同僚で、「コミュニケーションをあきらめない」人がいる。

自分の意見を主張する。上司だろうと、後輩だろうと、伝わらなければ伝わるまで、伝わる方法で伝え続ける。

といっても、人の意見を聞かないわけではなく、納得すれば協力するし、だからこそだろう、納得するまで質問する。しつこいぐらい。

それに比べて私は、そこまで頑張る根気がない。「コミュニケーションをあきらめている」つもりはないけど、そこまで主張はしないほうだ。

人に合わせてもらうより、自分が合わせたほうが早い、という感覚が強いのだろう。長尺のコミュニケーションを取ってまで自分を通すことに対して、期待するところが小さい。

さて、今日書きたいのは会社のことではない。世の中にはこのように、コミュニケーションをあきらめない人とあきらめやすい人がいるとして、そのスタンスとは一体、どこで分かれるかということだ。

答えは、「相互理解を通して、物事を実現してきた経験の数」だ。たぶん。

私は子供の頃から、母親に理解されることが少なかった。何か主張すれば意味が分からないといわれ、それが親心の裏返しだということに最近やっと気づいたが、要は親心の理解もなければ、子心の理解もないまま、「どうせ伝わらない」というスタンスや、「主張するぐらいなら黙ってやったほうが早い」という行動パターンだけがすくすくと育っていったのだ。

とはいえそんな私にも、転機はちょいちょい訪れた。20才でバックパッカーをしたときに始まり、来年は40才になるという今まで、立場の異なる人とコミュニケーションを通して相互理解ができたとき、そして行動を共にしたとき、独りでちまちま動くのとは違う、素敵な世界を見ることができた。

コミュニケーションが苦手なくせに、そういうことは希求している。そしてたまに成功するときがある。

そんなとき、必ずそばにいてくれたのは、私とのコミュニケーションをあきらめないでくれた人たちだ。たぶん1、2センチしか開いてない心のドアを、そーっと入ってきてくれた人たち。私の数少ない「相互理解を通して、物事を実現してきた経験」は、今考えれば全てこういう人たちのおかげだった。

というわけで、「コミュニケーションをあきらめない」ってことは、ことほどさように深い。

まずは互いに接触するスタンスが重要。それを妨げる違和感があるなら、いちいち伝えるスタンスが重要。それが平行線になるときは、立場の違いを考えてみるスタンスが重要。

ここまでして初めて「相互理解を通して、物事を実現してきた経験の数」が積まれるのであり、「みんなで見られる素敵な世界」があるのだろう。

 

 

 

あー…長い。(自分で書いといて違和感)

泣いてもなお

この3日ほど、めっぽう調子が悪い。

移住を決めて1週間、じわじわと実感が湧いてきたのだろう。最初の3日は元気だったが、コミュ障なりにせっかく仲良くなれた皆さんとの別れを思うと、2秒で涙が出てくるのだ。はっきりいって日常生活に支障を来たしている。

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とはいえ、この転職には夢しかないし、東京で膠着状態にあるあんなことやあんなことを思えば、この移住自体にしない理由は全くない。1年で戻ったとしても行ったほうがいいし、別れの淋しさなんて一時的のもので、縁ある人とは続いていくことだって知ってる。

そうはいっても、割り切れることと割り切れないこととがあるとき、どういう行動を取るべきだろうか。

不安材料になっていること、例えば健康状態とか財政状態といった基盤的な部分と、今ある人間関係に対するケア、かな?私が逆の立場だったらどうだろうか。

どんなに泣いたとしても、なお結論を変える気がないなら、今できることをするしかない。

2018年10月の読書

ローカルベンチャー|牧大介

 

・ローカルベンチャーとは、自分の視点を持ち、見落とされていた地域にある宝物を上手に発見して、仕事をつくること

・百年の森林構想は、市場よりも地域に目を向けた構想

・そこにある可能性を見つけ出して目に見える形にする

・生態系は全体がつながって循環し、空間全体から多様な豊かさが引き出される

・東京は売るものばかりやると、東京のマーケットを取り合うだけになる。地域で循環する仕組みは地域内で完結する

・その人が想い描く夢、ありたい暮らしを実現に導くプログラム

・外部に解を求めても見つからない時代。自分の中にこそある

・腹を決めたら動けるし、たいていのことは乗り越えられる

・これからは、迷っている人がちいきをつくる

・人と人の心のつながりを豊かにし、ものと一緒に心を届けて価値を生み出す地域経済

・自分たちが製品を使えば森がよくなる、森をよくした木で家具ができる

・地に足をつけた3年後の事業計画が必要

・歴史はお金で買えない

・部下としては上司が判断できる材料をどれだけ集めるか

・考え方を共有していたら、日々の細かい指示が不要になる

・空き家は所有者にとっては不良債権でも、移住者にとっては有料資源

・ほかのスタッフと自分のチャレンジ目標がどう関連しているか、それはチーム内でどういうポジションなのか理解できると、勝手に社内の連携が生まれる

・何かやりたいという人が一部ではなくたくさん育っている自治体は力がある

創発とは、多くのチャレンジがランダムに発生している中で起きるもの

・クリエイティビティのある人は、ある意味やんちゃで、チャレンジを重ねてきた人。感性が上書きされている

・自分の行動力や情報発信力で地域にメリットを返す

・自分がやらないといけないところ、やらなくてもいいところを明確にしておく

・会社自体を発酵させていく長丁場を覚悟して、少しずつ積み上げ、連鎖しせていくつもりで

・周囲に助けてといえるかどうかは大切

・ほかの人がやらないようなチャレンジをしていると、チャレンジングな人ほど興味をもってくれる。チャレンジする人とのご縁が増え、結果として最新の情報が集まりやすくなり、人材確保もしやすくなる

・想像→妄想→構想→計画→実施

・目の前にいる人は、いろんな可能性を秘めている。どんな風に生きてきたのか、どんな想いを積み重ねてここに存在するのか

・挑戦を続けた後、お世話になった人たちへの感謝が心の底から湧き出てきたら、そのときは地域のために頑張ればいい

・価値は何かと何かの関係から生まれる。新しいものや技術でなくてもいい

僕たちは島で、未来を見ることにした|株式会社巡の輪

 

・未来に可能性を投げかけられる自分でいるために移住した

・東京は生命を育む土からの距離が遠い

・存続の危機に瀕するほど人が少ないということは、逆にいうと一人ひとりを大切に指導できるということ

・都会では分業が当たり前でも、田舎では全部ができることを要求される

・自分の居場所をたくさんつくるには、相手の文化や日常の文脈に対して、対応する、変化する余白のある自分でいることも大切

・常に自然と生きてきた人は、人間という意味での実質的な実績が高い

・地域で継続してきたもの全てが財産

・都市が作るのは物質的な文明、田舎が保存するのは精神的な文化

・田舎は都会より劣っているのでも遅いのでもない。性質が違うだけ

・地域のことを手伝って、心を通わせて、そこに自分の仕事を作る

・参加者が巻き込まれたくなる魅力を作るには、巻き込まれることができる敷居の低さと、進化のプロセスを感じられるか

・仕事は方法論だけではない。五感を通した体験や、志ある人と想いを語り合うことが人間力を高める

・飾らないから変わらない。だからいつまでも愛される

・人間の幸福とは大きなテーマだが、結局は日々の幸せを感じる心の集合体

・食べていくことはできるようになった今の時代で、私たちがするべきことは後世に何か伝えること

・料理人は食材の作り手の代理人

・科学的な研究も昔ながらの方法もいいけど、大切なのは対話。心が食材を変える。自然の本当の力を引き出す

・東京にはたくさんの「今」がある分、過去を振り返る場所があまりにも少ない

・地域ごとの個性あるコミュニティがまずあって、そこで完結しながらグローバル化しないと、日本の産業は危機に陥る

・地域の人を巻き込むには、楽しいか儲かるかを提供しなければならない

コミュニティ難民のススメ|アサダワタル 

 

・夢とはなりたい職業や仕事に限られるものではないはず。「こうなりたい」ではなく「こうありたい」と願うことが受け入れられてもいい

・夢って現実の計画だけでなく「夢そのものをずっと見続けている状態」で、それが自分を目の前の現実から守ってくれる

・日常生活の価値観を表現の力で再編集する

・「なかなか1つのコミュニティに深くコミットできない」という内的難民性を肯定することでコミュニティとコミュニティのハブになることもできる

・自分の能力の使い方は自分で決めるものではなく、相手が決めるものだ。だから他者からの力が流れ込んでくるのに「ふさわしい場所を空けておく」ことが重要

・ジメジメした「不安」はドキドキとふふわふわを携えた「未知」へと変わっていく

・「相談」はそもそも言語化できる範囲でしかできないが、実は本人ですら自覚できない核心があって、そこへと二人三脚で降りていくのが本当の相談

・日常/非日常の「/」の存在は固定しているものではなく相対的なもの

表現者が作るさまざまな成果物、作品は、それが周囲に「ああ、これは確かにこの人の仕事だ」と認識されてこそ、次の仕事を作れる

・エディターシップを存分に発揮するには、利害で判断を誤らぬよう、非当事者的立場に立つ必要がある

・コミュニティは、結合することが容易であったのと同じく、分解することも容易でなければならない。絆は求められるにしても、それを作る人々を縛るものであってはならない

・「自分はこれをやりたい」の「これ」として言語化できることなんて、せいぜい「とりあえず」でしかない。本当にやりたいことはもっと抽象的なものであって、そこに向かうために「これはやっとくべきだ」とおいう直感で進むしかない

・問題行動といわれる行為の中に、実はその人の情熱や熱意、人格を表している場合が多くあり、これを「悪い」と切り捨ててしまえばその人の本質は見えなくなってしまう

・議論するだけだと「そもそも論」や「堂々巡り」に陥ってしまうので、小さいながらも確実に「進んでいる」ことを可視化するため、モックアップをどんどん提示していく

・現在の社会は、未来世代の資源を奪いことで成り立っている。「未来はこうなるといいな」というソリューションから発想し、それを実現する概念が必要

・関係性を構築するために必要なのは、人としての信頼を元にした対話を、あきらめずに繰り返し続けること

・都市においては会社が「ムラ」の機能を果たしていた。が、グローバル化などでそれ自体も壊れだした。

・成熟社会のキーワードは「フェア」と「シェア」。社会的公正性を担保しながら、分かち合っていく姿勢がカギになる

これは迷いか寂しさか

行きたいところがあるなら、新幹線でも飛行機でも乗ればいい。お金がないなら高速バスもあるし。

行きたいところがあるなら、荷物は少し減らさなきゃならない。鞄に全部は入らないから、足りなきゃ後から送れる!と信じて。

行きたいところがあるなら、一度はやっぱり行かなきゃならない。お金も時間もかかるし、失うものだってあるかも。けど、それ以上を得るかもしれない。それこそが、そこに行きたい理由だろう。

過去に戻って、行きたかったところに行くことはできない。

今は迷いだとしても寂しさだとしても、行くときは行く。

未来ってそういうもんなのだ。