週末のある日、ある人物のことがひとときも頭を離れなかった。
掃除をしていても、洗濯をしていても、運動をしていても、「〇〇さん!〇〇さん!」って、決して恋をしたからではない。嫌いだからだ!
そして後日、〇〇さんと再会するに当たって、私が選んだ対応は次のうちどれか。
⑴正面からぶつかる
⑵我慢して争いを避ける
⑶嘘でも褒める
⑴⑵については、既に数ヶ月やってきた。その上で正式に嫌い認定したのだ。残された道は⑶しかないと、〇〇さんの見た目からスタンスからアウトプットまで、(嘘ではないが)普通いちいちコメントしないようなことまで、敢えて褒めるようにしてみたら、
スムーズ、スムーズ!
なるほど。「嫌いな人」にイライラしたくなければ、その人を褒めて「いい人」にしてしまえばいいのか!
実は私、周りの人から「大人ですね」とよくいわれる。⑴を極力避け、⑵を選ぼうとする姿が、そのようにポジティブに映るらしい。
しかし今回のように、⑴⑵では間に合わないことがたまにはあって、⑶を選んでみた理由は、1つ。
嫌な相手に対して、これ以上心を砕くのも、イライラに時間を費やすのも嫌だったから。「大人だから」こそ、そんな若さもなければ、時間もない。褒める=善人なわけじゃないのだ。
一見ポジティブに聞こえる「大人」って表現。実は精神的なゆとりを持つことでも、人を許せることでもなく、時間的な損得勘定ができるようになること、それに応じた対応を選べるようになること、なのかもしれない。
それにしても若いときより、劣化を感じる今日この頃。目の下のシワが消えなくなったのを見るたび、浪費する時間はないのだと、想いを強くする毎日なのだ。