最近私の中で、「残したいもの」という言葉がヒットしている。
きっかけは釜山で、キムさんに宛てて書いた手紙。
↓に書いたようなことを書きながら、
自分の手紙に自分で感動して号泣、というアホな夜を過ごしていたら、「残したいもの」という感覚が、胸の奥に沈着したのだ。
場面は変わって、帰国したその日の夜、早速それは訪れた。
シェアメイトのT嬢とM嬢、常連のRちゃんとA嬢が来て、2時間ばかし飲んだのだ。
その前にA嬢とは外で小1時間飲み、深めの相談に乗ったままのテンションで3人に合流。
流れで引き続き、深めの話をしたわけだけど、それがね、温かかったんですよ。
いや、内容はもちろん素晴らしかった。素晴らしかったけど、「残したい」のは多分それじゃなく、
1つ1つの話、想い出とか相談とか(ときに愚痴とか)、そんな話を誰かがしている。それを聴いている全員が、内容よりもその想いを、本心を、大切に大切に取り扱っている感じ。それにとても感動して、「残したいもの」スイッチが入ったのだ。
ちょうど、この日のように。
とはいえ私は、今週末には転居する身。
別れは寂しい。哀しい。だけど避けることもできないという今、
私は、知っているのだ。
残したいものは、残すことができる。しょっちゅうは会えなくなっても、1度残ったものは意外と消えない。キムさんのように。
残したい夜を共にできたことに感謝して、またどこかで会いましょう。