ゆかこの部屋

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報道について考えてみた|タクシー運転手

今日は土曜日。

朝から好きなナポリタンを食べ、部屋と衣類を綺麗にしたら、そろそろ昼下がりが終わりそうな頃合い。

「さ、文章書こう!」とパソコンの前に座り、妙な心の落ち着きを覚える。

健康な心身と衣食住があれば、8-9割は満足できるんじゃないか。「不要不急」と離れることで、寧ろ好きなことに集中できるようになったんじゃないか。

外は晴れ。風は少し強いが春らしい陽気で、「こんな日は救急車も少ない」と書こうとした矢先、遠くからサイレン音が聞こえてきた。今も都内は、コロナ禍の渦中だ。

 

昨日のニュースで、コロナ対応に追われる現場の「リアル」を伝えるものがあった(動画)。

www.bbc.com

私が今パソコンの傍らで、紅茶淹れたりコーヒー淹れたりしている間にも、現場では感染に苦しむ人、それを助けるために働く人がいるのだ。

冒頭にも書いた通り、私には健康な心身と衣食住がある。リスクを冒してまで働く人に比べれば、何が我慢だ、何がストレスだ。

最後に先生が訴えている通り、今は家にいること、多くの人と接触しないこと。それが自分にできることなら、全力でそれを頑張らなければ。

 

ところで、前出の映像は見ての通り、イギリスの公共放送BBCが取材したものである。

オリンピック延期やPCR検査の遅れなど、国内のニュースを外国メディアに伝えてもらうことは珍しくなくなったが、こういう映像が日本のTVで日常的に流れているわけではない、ということは、少し考えたほうが良いかもしれない。

報道というものが、意外にあやふやなものだ、という意味だ。

「本当のこと」は、黙っていても当たり前に伝え聞けるものではない。「伝えよう」という人がいて初めて、自分の耳目に触れるのだ。

 

昨夜は、それを実感する映画を見た。2017年に韓国で大ヒットした「タクシー運転手」という作品だ。


【映画 予告編】 タクシー運転手 〜約束は海を越えて~

舞台は1980年の光州という地方都市。韓国現代史の中で一番の悲劇とも呼ばれる「光州事件」がモチーフだ。

この頃、韓国はまだ軍事政権下にあり、その政争に対する抗議として、光州の市民たちが蜂起した。これを政府は軍隊で制圧。傷ついている市民を容赦なく撃ったり、血で血を洗うようなことが繰り広げられるが、国内のメディアは正しくそれを伝えない(伝えられない)。

そこへ取材に訪れたのが、ドイツ公共放送の記者であるユルゲン・ヒンツペーターという人物(実在)。主人公のタクシー運転手は当初、「遠距離客は金になる」という理由だけで彼を乗せるが、現地で戦う市民たちと出会い、その姿を目にしたことで、これを世界に伝えるために、自分自身も命を懸ける………。

報道というものが、「伝えよう」とする人の意志、そして行動によって成り立っているということを、激しく実感する映画だった。

 

さて、イギリスの公共放送、ドイツの公共放送と来れば、日本の公共放送NHK界隈ではこんなニュースが。

mainichi.jp

23日夜放送の「バリバラ桜を見る会バリアフリーと多様性の宴(うたげ)第1部」の再放送が、26日午前0時から放送予定だったのが、放送直前に急きょ差し替えられた。 

また、コロナ界隈ではこんな実態も明らかに。

this.kiji.is

 放送局や新聞社、通信社などの社員214人が回答。「政府から『医療崩壊』と書くなと要請された」「政府や自治体首長の表現を検証もせず垂れ流している」「記者会見が入場制限されている」などと現状を懸念する回答が並んだ。

国難のときに、政府がそれを隠したがるのは当たり前のことだ。

腹が立つというよりも、現場の記者の苦しみが見える。伝えたいのに、伝えられないもどかしさ。羽をもがれる気分だろう。

今、日本で起きている「本当のこと」は、どこの誰が伝えてくれるのか。

 

この文章を1本書くのに、救急車のサイレンが5台分は聞こえた。

 

お題「#おうち時間