ゆかこの部屋

小さな幸せを集めて貯めるblog

スキルUPの読書|2017年8月

リモートリームでうまくいく|倉貫義人

 

・同じオフィスで働いているからといってチームワークが自然に醸成されるわけではない

・リモートワークこメンバー同士は、ときには利害関係を超えて助け合えるかどうかが重要

・ベースにあるのは、人間として尊敬し合える関係か

・成果を出さなければ、仕事をしていないのと同じ

・会社の選び方、誰と働くかについて選択肢が広がることが最大のメリット

・(自分の思考や作業を中断されたとしても)仲間からの相談には乗ってあげたほうが、チーム全体としての生産性は高まる

・「ラジオ参加」という会議の傍聴

・仕事上の信頼は一緒に仕事をすることでしか築けない

・「隣は何をする人?」を解消する

・仕事の単位は最大でも1日で終わる程度に分解し、イメージ合わせと改善を繰り返す

・チームビルディングの第一歩は、メンバーがお互いに「仲間」だと認識することから始まる

・よく発信している人のことは、端から見ているだけで親近感も覚える

・同じ目標に向かうには、起きている問題の背景や文脈を共有する必要がある

・リモートチームでは、セルフマネジメントのできる人材が信頼関係で結ばれて仕事をすることでチームとして機能する

・孤独を感じるならリモートワークのせいにするのではなく、自分たちの人間関係に問題がないか考えてみるべき

・リモートチームだからこそ、メンバー同士の交流や絆を大事にするよう心がける

ストレングス・リーダーシップ|トム・ラス&バリー・コンチー

 

・最高のリーダーは万能ではない。最高のチームが万能なのだ

・あらゆることに秀でようとすると、傑出した存在にはなれない

・強固なチームをつくり上げるには、リーダーがひとりひとりの強みと、メンバー間のよりよい人間関係づくりに投資し続けること

わかりやすく説明する力と問題解決力が、1冊でビシッと身につく本|知的習慣探究舎

 

・わかりやすい説明は「逆三角形型」。①リード、②結論、③理由、④展望、⑤エピソード

・相手を納得させるわかりやすい説明は、①話を聞く態度のスイッチを入れる、②相手に未来図を描かせる、③メリットを明らかにする

・ウィークポイントを開示すると、信頼関係が素早く築ける

・アイコンタクトは目を直視せず、相手の両眉と鼻の三角形を見るような感じで。大勢の前なら、しきりに頷いている人を探して、この人に重点的にアイコンタクトをする

・相談には具体的結論より、第三者の話や仮定の話として、結論やアドバイスをそれとなく気づかせる

・理想と現実のギャップはチームで共有すること。現状でよいと考える人にとっては、単なるおせっかいになる

・矢印で表せないものを省くと、論理はいっそう明確になる

・ただ「流行っている」という仮説で結論を導き、真似することは大きな失敗を招くことになる

 

それでも私は「いい人」をやめない

はてなブログに、

shiumachi.hatenablog.com

というエントリーがあった。

進捗のヤバいプロジェクトに参加することになったプレイヤーが「私の担当業務は予定通り進捗しています」と嘘の報告をして、それを見破るダウトゲームだそうで、

実際の会社員生活でも、進捗がヤバければヤバいほど、「遅れてます」なんて口が裂けてもいえなくなる、その辺の心理が痛く突かれるゲームである。 

私は今年の4月ごろ、あるプロジェクトに、相当ヤバくなった段階で参加することになった。既存メンバーの雰囲気は最悪。会議はもう、進捗確認というより遅れの犯人探しといった感じで、

普通、そこまで遅れた段階で、「役割分担の破綻」を疑うだろうに、「それは○○さんの役割でしょ」などと、この期に及んで責任のなすり合い。「普段はいい人」が多かっただけに、このゲームを見て改めて、あのプロジェクトは「末期」だったんだと感じた。

ところが!

関わる人たちを次々と蝕んでいったこのプロジェクト、会社の表彰会ではグランプリを獲得。メンバーがどんなにボロボロでも、目立つ成果は褒められる。だからそれに取り組みたがる「優秀な人」たちがいるのである。

さて、私は8月の人事異動で、いよいよ後輩を率いることになった。能力の追いつかないメンバーに新しい役割を与えたところ、1日にしてパンク。早速巻き取ることになったが、しかし、「進捗が遅れる」ということは、役割の放棄ではない。分担を考える側の責任だ。

役割分担が雑だったせいで、組織の信頼関係が、根底から崩れたあの経験。どんなに成果を出そうとも、ボロボロの人間関係の中で、私だったら働けない。

ということで、至らぬ点は多くても、私は「いい人」として頑張る!

これを決断できたのは、ほかでもない、あの経験のおかげだ。

「こども宅食」で子供に教えてあげたいこと

文京区で、「こども宅食」なるプロジェクトが始まるらしい。

www.furusato-tax.jp

これは「ひとり親」などで貧困に陥っている家庭に、食糧を届けるというプロジェクト。寄付やボランティアで支援できるが、私は文京区民なので、ボランティアに応募した!

というのも、私は「ひとり親家庭」の出身なのだ。

(親が頑張ったので)食べるに困りはしなかったが、まだ「ひとり親」が珍しかった30年前の田舎では、それなりにしんどいこともあった。が、その割に心豊かに育ったとも自負しているため、是非とも経験を活かしたい!というのが応募の動機なのである。

ちなみに「しんどいこと」とは、主に「モノがない」ことによるもの。給食着は男もののシャツで、体操着は兄のおさがり。学校指定の文房具は高いので、市販で似たようなものを揃えるなど、「みんな一緒」の学校生活において、「人と違う」ということは、今考えれば、いじめの原因になってもおかしくはなかった。

が、私の心はあくまで、豊かに育ったのである(自負)。

つまり、「経済的に豊かでなくても、たとえみんなと一緒でなくても、○○さえあれば心豊かになれる」。私は○○の正体を考えて、明らかになった暁には子供たちに教えてあげたい。

○○の正体は、体が大きかったことか、はたまた親を悲しませられないという想い(から勉強を頑張ったこと)か分からないけど、これって「こども宅食」に限らず、低成長時代の、生きる処方箋になる気がする(メモメモ)。 

tokyo100k.hatenablog.jp

ニュースを見ることは、自分を活かすことに繋がる

はてなブログに、

www.kaputtan.com

というエントリーがあった。

書いているのは24才女性。両親は「大人なんだから社会情勢を」というが、世の中、悲しいニュースばかりで見ていられない、ということらしい。

ニュースを見ていて、悲しくなるのは確かに分かる。取り上げられるネタのほとんどが暗く、こんな悲惨な(ことばかり報じられる)世の中で、生きる気力がなくなってくる。

しかし、共感できるからこそ、「ニュースを見よう!」といいたい。

私なりニュースとの付き合い方

始めは闇雲に見る。すると2つのことが見えてくる。

1つ目はいわゆる「大人の事情」。マスコミが数字取りのために、わざと悲惨に報じているとか、権力者が人気取りのために…とかいったことが、見えてくるようになる(逆もある)。

2つ目は「問題の本質」。北朝鮮とか異常気象とか安倍政権とか新国立過労死とか、あちこちで関係なさそうに起きている問題が、実は「点」ではなく「線」であることが分かってくる。

と、ここまで来れば、「自分にできる問題解決」を考えるようになる。悲しんでいる暇などないのだ。

といっても、市民にできることなどせいぜい、原因となるマスコミや権力者を支持しないことであったり、共感できる政党や企業、NPOを支持することぐらいだが、世の中、素晴らしい取り組みってのも実は山ほどあって、この社会が(局地的にではあっても)前に向いていることが分かってくる。

自分を活かすきっかけに

くだんの24才女性は「悲しいとすぐ泣いてしまう」人だそうだが、裏を返せば「嬉しければすぐ笑える」人でもあるはずだ。

悲しいからといって目を背けていると、悲しい事実は放置されるだけ。これ以上悲しみたくなければ、自ら立ち上がるもよし、立ち上がった人を支持するもよし。感情が豊かな人だからこそ、それをエネルギーに代えることが、自分を活かすことにもなるのではないだろうか。

種まきから収穫へ

最近、友人が釜山(=私の古巣)を旅行したそうで、名物料理など教えていたら、「あの頃」のことが思い出された。

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釜山で日本語を教えていたのは、2004年~2007年。当時は両国間の領土問題(竹島)が連日報道され、タクシーの運転手にすら「独島(=竹島の韓国名)問題どう思う?」などと聞かれたりしていたが、

ひとたび教室に入ってしまえば、親日的な生徒たちは、勉強熱心で心優しい人ばかり。私は「世界の平和を作るのは、政治ではなく市民の心。争いではなく、それぞれの『らしさ』を活かすことだ」と、かなり本気で考えていた。

そして帰国後、早10年。そんなのすっかり忘れていたが、今ここへ来て再び、波が来ている!気がしている。 

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前回書いた続きで、私は9月に転居することを決めた。そこは文京区根津にあるシェアハウスで、世界中からの旅行者を迎えるゲストハウスの機能もある。まさに「市民の心」である。

そして根津界隈には、個性的で勉強熱心で心優しい人たちのコミュニティもある。それぞれが『らしさ』を活かし合い、世界をよい方向に導いていくのに、(今の私にとって)これ以上の舞台があろうか!  

tokyo100k.hatenablog.jp

ということで、早くも楽しみな新生活😆

それにしても若い頃の、行き当たりばったりに選んだキャリアが、こんな風に活かされることもあるもんだ。自分で蒔いた種というのは、いつかどこかできっと、発芽するようできているらしい。

選択とは、過去か未来を捨てること

AとBの選択肢がある。Aは過去からの延長で、Bは未来からの逆算だ。

何かを選ぶということは、別の何かを捨てるということ。

Aを選ぶことは、未来を捨て過去を選ぶということであり、Bを選ぶことは、過去を捨て未来を選ぶということである。

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私は今、「転居」で迷っている。

これまで自分の意志でした転居といえば、

18才で実家→東京、25才で東京→韓国、32才で中野区→文京区という転居があり、いずれも大きな転機になった。

今回の転居は、文京区本郷→文京区根津という、迷うまでもないほどの近距離で、失うものなどほとんどない上、得るものは多い。にも関わらず迷うのは、やはり年のせいだろうか。

年齢を重ねるほど、まだ見えない未来より、慣れ親しんだ過去のほうが安心できるようになる。「今のままでいられるはずがない」と分かってはいても、転機を作り出す勇気がなくなる。それが年というものだ。

ただ、人生が100年になるというこの時代に、38才の私には過去が37年と、未来が61年ある。感覚的なことを抜きにすれば、どっちが合理的かは、とっくの昔に明らかなのだ。

 

自分らしく根を張ること

植物コーナーを模様替えした。

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寄せ植えを掘り起こし、株分けをしたのだが、驚いたのは根の張りかた!表からは想像もつかないほど、たくましい根を張っている。

植物っていうのは、水をやってもやらなくても、気まぐれに株分けしたりしても、自分なりに根を生やし、ちゃんと成長するもんなんだな〜。

最近読んだある本に、「自分らしさ」というものは、探して見つけるものではなく、まして世間のモノサシで決めるものでもなく、自分の価値観や習慣で、淡々と過ごす毎日そのものなのだ、と書いてあった。

世は連休だったというのに、地味〜に過ごしたワタシ。遊びほぼなし。

しかし!強く根を張る植物のごとく、自分の努力を続けていく。仮に今日した努力の結果が、明日すぐには出ないとしても。

小さな進歩を感じているから、少なくとも間違った方向ではないのだ。

朝のリセット力

こんな朝が来ることに、感謝しなきゃいけないなって朝。

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金曜の夜に早く寝過ぎて、土曜の早朝(というか深夜)に目覚め。そのまま皇居ランへ。

私はほぼパジャマで、金曜の夜を引きずっていたが、朝の光と爽やかな風ってのは凄い。強制的に朝にさせられた。圧倒的なリセット力。

多少しんどいことがあるとしたって、病気してるわけじゃないし、借金してるわけでもない。

多少しんどいことがあるとしたって、私が抱えることなんて、挑戦するのが怖いとか、ポジティブな問題しかないのだ。

この朝さえあれば、大丈夫なような気がした。

シェアサイクル通勤3つのメリット

私は最近、「シェアサイクル」にはまっている。都心でよく見るようになった赤い小さな自転車だ。

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http://docomo-cycle.jp/tokyo-project/

現在、千代田、中央、港、新宿、文京、江東の6区で利用可能ということで、文京区在住、中央区在勤の私は、朝晩の通勤に利用している。クソ暑い中ではあるが、これがなかなかに楽しい。

毎日が30分の冒険

通勤というのは普通、毎日同じルートでするものと決まっている。かれこれ6年、私も丸の内線一辺倒だった。

が!自転車通勤は毎日が冒険。道が1本違えば、街も違う。人も違う。毎日が発見の連続だ。景色のない地下鉄に、ただ運ばれるだけの時間なんて、勿体ないことをしたもんだ!

生産性も上がった気がする

街に目を向けるだけでなく、自転車は安全のため、車や人の往来にも気を配らなければならない。これは一見ネガティブなようだが、実は出勤前の頭の体操になっている。

地下鉄で家畜のように運ばれるのと、体ひとつで街を走り、あれこれ考え会社に着くのとでは雲泥の差だ。

企画職で頭の回転の速さが命という中、「降りてくる」瞬間が増えたような気がする。

通勤交通費が安くなる

そんなシェアサイクルだが、1回30分以内で160円(税別)が基本料金(延長は30分100円)。

破格過ぎて泣けるのは、月会員2000円(税別)で、私のように「通勤」と心を決めた人は、地下鉄だと月7000円は払っているのが、5000円も浮いてしまう。飲み会なら1回、ブラウスなら2枚、帯なら1本は買える。消費が自己投資に回る。

とにかく「楽しい」ってことは凄い

ということで、精神的にも生産的にも経済的にも合理的なシェアサイクル。だけど、最も感じるのは、「楽しいって凄い」ということだ。

自転車通勤は正直、暑いし頭もぼさぼさになる。だけど、そんなことはどうにかしよう!と発奮させられるだけの楽しさがある。

新しいことを始めるのに、「だけど○○だし」と、足を引っ張るものは必ずあるのだ。だけど「楽しさ」さえあれば、どうにかしようと「知恵」が来る。

しんどいことは、我慢で克服するのではない。楽しさで克服するのだ、というのが、少しだけ分かった気がする。合理的な正しさより、感覚的な楽しさは強い。