スタンスUPの読書|2017年8月
あなたの人生の科学・上|デイヴィッド・ブルックス
・私たちは、意識的に情報処理をしているように思っているが、それは錯覚にすぎない
・人間にとって重要なのは、理性よりも感情。個人より人と人とのつながり。IQより人柄
・研究者は大半が秀才であり、どうしても数値化、定量化できる事柄ばかりを相手にする。その結果として、「人間というものを単純に考えすぎ」、各種政策に失敗を及ぼす
「しないこと」リストのすすめ|辻信一
・「危機」の「機」は「機会」の「機」
・競争に勝つ人がいるのは、負ける人がいてくれるおかげ。競争に参加する人がいなければ、競争そのものが成り立たない
・「したいこと」のために効率化したはすが、「しなければならないこと」をこなすために時間がどんどん奪いとられていく
・GNPにはタバコや酒や薬、離婚や交通事故や犯罪や環境汚染や環境破壊に関わる一切が含まれている一方、子供たちの健康、教育の質の高さ、遊びの楽しさや市の美しさ、市民の知恵も勇気も誠実さも慈悲深さも含まれていない
・「する(Do)こと」の反対は「しないこと」ではなく、「しないで、いる(Be)」こと
・武器の生産が経済成長を支えるアメリカのような仕組みをもつと、しまいには、雇用を確保するために戦争を作り出す、ということになりかねない
・レクリエーションの語源はre-creation(再創造)
・入試というシステムが子供のためにならないのに存続する理由は、入試を軸として展開する教育システムそのものを維持するため
・モチベーションが上がらないということは、「やる意味」や「する理由」の不在を敏感に感じ取ったということ
人間関係をしなやかにするたったひとつのルール|渡辺奈都子
・「期待すること」自体は〈外的コントロール〉ではないが、「期待通りにならないことを許さない」のは〈外的コントロール〉
・「ほめる」目的は「私はあなたのことをちゃんと見ていますよ」「あなたは私にとって大切な存在ですよ」ということを“空気のように”伝えること
・責任とは、他人の欲求充足の邪魔をしないで自分の欲求を満たすこと
・人間の行動は、前輪に「行為」「思考」、後輪に「感情」「生理反応」がある
・怒りの〈タイムアウト〉のコツは「身体を動かす」こと
・〈上質世界〉に貼られるイメージ写真のことを〈願望〉と呼ぶ
・リクエストとは、「こちらの期待は伝えるけれど、その答えは相手側が決定して構わない」がルール
・リクエストに応じてもらう確率を上げるには、普段の関わりから、その人の〈上質世界〉に自分を入れてもらうことが重要
・自分の〈上質世界〉にあるものに対して一生懸命取り組んでいると、その姿を見ている人の〈上質世界〉に入りやすくなる
・選択理論的な生き方は、自分で自分の幸せに責任を持って過ごすこと
・「〈外的コントロール〉が大好き」な人に「〈外的コントロール〉をやめさせる」という〈外的コントロール〉を使わないこと
こうして僕は世界を変えるために一歩を踏み出した|鬼丸昌也
・事実を伝えることだったら、僕にもできる
・伝えることはあくまでも手段。相手に事実を伝えるだけではなく、相手や世界により良い変化をしてもらうことが目的
・働くことは、自分の命を使って、自分と他者を輝かせることのできる素晴らしいもの
・一人ひとりできることは違う。だから、自分にできることをする
・個々が自分の強みを探し出し、成長させ、その強みをもち寄ることで、地球規模の課題に対しても解決の筋道を立てることができる
持続可能な資本主義|新井和宏
・いい会社とは、これからの社会に必要とされる会社、経済性と社会性を両立している会社
・会社を私物化せず、社会の公器と考える
・計画的陳腐化=短期間しかもたないものを計画的に生産することによって利益を追求すると、究極的には戦争ビジネスに行き着く
・ステークホルダーとの間に共通価値を見出しているかどうかが重要
・極端な価格選考は、つながりではなく分断を招く
・最小の労力でリターン(お金)を最大化するには、本業を「ここからここまで」と狭く定義するほうが楽だが、これでは社員からも地域からも愛される企業にはなれない
・経営にとって本来あるべき姿とは、社員が幸せになるような会社を作り、それを通じて社会に貢献すること。売り上げも利益もそれを実現するための手段に過ぎない。
・戦争や紛争の多くは、地下資源をめぐる権益争いから生じる。地上資源をリサイクルして地下資源が必要なくなれば、戦争はなくなる
スキルUPの読書|2017年8月
リモートリームでうまくいく|倉貫義人
・同じオフィスで働いているからといってチームワークが自然に醸成されるわけではない
・リモートワークこメンバー同士は、ときには利害関係を超えて助け合えるかどうかが重要
・ベースにあるのは、人間として尊敬し合える関係か
・成果を出さなければ、仕事をしていないのと同じ
・会社の選び方、誰と働くかについて選択肢が広がることが最大のメリット
・(自分の思考や作業を中断されたとしても)仲間からの相談には乗ってあげたほうが、チーム全体としての生産性は高まる
・「ラジオ参加」という会議の傍聴
・仕事上の信頼は一緒に仕事をすることでしか築けない
・「隣は何をする人?」を解消する
・仕事の単位は最大でも1日で終わる程度に分解し、イメージ合わせと改善を繰り返す
・チームビルディングの第一歩は、メンバーがお互いに「仲間」だと認識することから始まる
・よく発信している人のことは、端から見ているだけで親近感も覚える
・同じ目標に向かうには、起きている問題の背景や文脈を共有する必要がある
・リモートチームでは、セルフマネジメントのできる人材が信頼関係で結ばれて仕事をすることでチームとして機能する
・孤独を感じるならリモートワークのせいにするのではなく、自分たちの人間関係に問題がないか考えてみるべき
・リモートチームだからこそ、メンバー同士の交流や絆を大事にするよう心がける
ストレングス・リーダーシップ|トム・ラス&バリー・コンチー
・最高のリーダーは万能ではない。最高のチームが万能なのだ
・あらゆることに秀でようとすると、傑出した存在にはなれない
・強固なチームをつくり上げるには、リーダーがひとりひとりの強みと、メンバー間のよりよい人間関係づくりに投資し続けること
わかりやすく説明する力と問題解決力が、1冊でビシッと身につく本|知的習慣探究舎
・わかりやすい説明は「逆三角形型」。①リード、②結論、③理由、④展望、⑤エピソード
・相手を納得させるわかりやすい説明は、①話を聞く態度のスイッチを入れる、②相手に未来図を描かせる、③メリットを明らかにする
・ウィークポイントを開示すると、信頼関係が素早く築ける
・アイコンタクトは目を直視せず、相手の両眉と鼻の三角形を見るような感じで。大勢の前なら、しきりに頷いている人を探して、この人に重点的にアイコンタクトをする
・相談には具体的結論より、第三者の話や仮定の話として、結論やアドバイスをそれとなく気づかせる
・理想と現実のギャップはチームで共有すること。現状でよいと考える人にとっては、単なるおせっかいになる
・矢印で表せないものを省くと、論理はいっそう明確になる
・ただ「流行っている」という仮説で結論を導き、真似することは大きな失敗を招くことになる
それでも私は「いい人」をやめない
はてなブログに、
というエントリーがあった。
進捗のヤバいプロジェクトに参加することになったプレイヤーが「私の担当業務は予定通り進捗しています」と嘘の報告をして、それを見破るダウトゲームだそうで、
実際の会社員生活でも、進捗がヤバければヤバいほど、「遅れてます」なんて口が裂けてもいえなくなる、その辺の心理が痛く突かれるゲームである。
私は今年の4月ごろ、あるプロジェクトに、相当ヤバくなった段階で参加することになった。既存メンバーの雰囲気は最悪。会議はもう、進捗確認というより遅れの犯人探しといった感じで、
普通、そこまで遅れた段階で、「役割分担の破綻」を疑うだろうに、「それは○○さんの役割でしょ」などと、この期に及んで責任のなすり合い。「普段はいい人」が多かっただけに、このゲームを見て改めて、あのプロジェクトは「末期」だったんだと感じた。
ところが!
関わる人たちを次々と蝕んでいったこのプロジェクト、会社の表彰会ではグランプリを獲得。メンバーがどんなにボロボロでも、目立つ成果は褒められる。だからそれに取り組みたがる「優秀な人」たちがいるのである。
さて、私は8月の人事異動で、いよいよ後輩を率いることになった。能力の追いつかないメンバーに新しい役割を与えたところ、1日にしてパンク。早速巻き取ることになったが、しかし、「進捗が遅れる」ということは、役割の放棄ではない。分担を考える側の責任だ。
役割分担が雑だったせいで、組織の信頼関係が、根底から崩れたあの経験。どんなに成果を出そうとも、ボロボロの人間関係の中で、私だったら働けない。
ということで、至らぬ点は多くても、私は「いい人」として頑張る!
これを決断できたのは、ほかでもない、あの経験のおかげだ。
「こども宅食」で子供に教えてあげたいこと
文京区で、「こども宅食」なるプロジェクトが始まるらしい。
これは「ひとり親」などで貧困に陥っている家庭に、食糧を届けるというプロジェクト。寄付やボランティアで支援できるが、私は文京区民なので、ボランティアに応募した!
というのも、私は「ひとり親家庭」の出身なのだ。
(親が頑張ったので)食べるに困りはしなかったが、まだ「ひとり親」が珍しかった30年前の田舎では、それなりにしんどいこともあった。が、その割に心豊かに育ったとも自負しているため、是非とも経験を活かしたい!というのが応募の動機なのである。
ちなみに「しんどいこと」とは、主に「モノがない」ことによるもの。給食着は男もののシャツで、体操着は兄のおさがり。学校指定の文房具は高いので、市販で似たようなものを揃えるなど、「みんな一緒」の学校生活において、「人と違う」ということは、今考えれば、いじめの原因になってもおかしくはなかった。
が、私の心はあくまで、豊かに育ったのである(自負)。
つまり、「経済的に豊かでなくても、たとえみんなと一緒でなくても、○○さえあれば心豊かになれる」。私は○○の正体を考えて、明らかになった暁には子供たちに教えてあげたい。
○○の正体は、体が大きかったことか、はたまた親を悲しませられないという想い(から勉強を頑張ったこと)か分からないけど、これって「こども宅食」に限らず、低成長時代の、生きる処方箋になる気がする(メモメモ)。
ニュースを見ることは、自分を活かすことに繋がる
はてなブログに、
というエントリーがあった。
書いているのは24才女性。両親は「大人なんだから社会情勢を」というが、世の中、悲しいニュースばかりで見ていられない、ということらしい。
ニュースを見ていて、悲しくなるのは確かに分かる。取り上げられるネタのほとんどが暗く、こんな悲惨な(ことばかり報じられる)世の中で、生きる気力がなくなってくる。
しかし、共感できるからこそ、「ニュースを見よう!」といいたい。
私なりニュースとの付き合い方
始めは闇雲に見る。すると2つのことが見えてくる。
1つ目はいわゆる「大人の事情」。マスコミが数字取りのために、わざと悲惨に報じているとか、権力者が人気取りのために…とかいったことが、見えてくるようになる(逆もある)。
2つ目は「問題の本質」。北朝鮮とか異常気象とか安倍政権とか新国立過労死とか、あちこちで関係なさそうに起きている問題が、実は「点」ではなく「線」であることが分かってくる。
と、ここまで来れば、「自分にできる問題解決」を考えるようになる。悲しんでいる暇などないのだ。
といっても、市民にできることなどせいぜい、原因となるマスコミや権力者を支持しないことであったり、共感できる政党や企業、NPOを支持することぐらいだが、世の中、素晴らしい取り組みってのも実は山ほどあって、この社会が(局地的にではあっても)前に向いていることが分かってくる。
自分を活かすきっかけに
くだんの24才女性は「悲しいとすぐ泣いてしまう」人だそうだが、裏を返せば「嬉しければすぐ笑える」人でもあるはずだ。
悲しいからといって目を背けていると、悲しい事実は放置されるだけ。これ以上悲しみたくなければ、自ら立ち上がるもよし、立ち上がった人を支持するもよし。感情が豊かな人だからこそ、それをエネルギーに代えることが、自分を活かすことにもなるのではないだろうか。
種まきから収穫へ
最近、友人が釜山(=私の古巣)を旅行したそうで、名物料理など教えていたら、「あの頃」のことが思い出された。
釜山で日本語を教えていたのは、2004年~2007年。当時は両国間の領土問題(竹島)が連日報道され、タクシーの運転手にすら「独島(=竹島の韓国名)問題どう思う?」などと聞かれたりしていたが、
ひとたび教室に入ってしまえば、親日的な生徒たちは、勉強熱心で心優しい人ばかり。私は「世界の平和を作るのは、政治ではなく市民の心。争いではなく、それぞれの『らしさ』を活かすことだ」と、かなり本気で考えていた。
そして帰国後、早10年。そんなのすっかり忘れていたが、今ここへ来て再び、波が来ている!気がしている。
前回書いた続きで、私は9月に転居することを決めた。そこは文京区根津にあるシェアハウスで、世界中からの旅行者を迎えるゲストハウスの機能もある。まさに「市民の心」である。
そして根津界隈には、個性的で勉強熱心で心優しい人たちのコミュニティもある。それぞれが『らしさ』を活かし合い、世界をよい方向に導いていくのに、(今の私にとって)これ以上の舞台があろうか!
ということで、早くも楽しみな新生活😆
それにしても若い頃の、行き当たりばったりに選んだキャリアが、こんな風に活かされることもあるもんだ。自分で蒔いた種というのは、いつかどこかできっと、発芽するようできているらしい。
選択とは、過去か未来を捨てること
AとBの選択肢がある。Aは過去からの延長で、Bは未来からの逆算だ。
何かを選ぶということは、別の何かを捨てるということ。
Aを選ぶことは、未来を捨て過去を選ぶということであり、Bを選ぶことは、過去を捨て未来を選ぶということである。
私は今、「転居」で迷っている。
これまで自分の意志でした転居といえば、
18才で実家→東京、25才で東京→韓国、32才で中野区→文京区という転居があり、いずれも大きな転機になった。
今回の転居は、文京区本郷→文京区根津という、迷うまでもないほどの近距離で、失うものなどほとんどない上、得るものは多い。にも関わらず迷うのは、やはり年のせいだろうか。
年齢を重ねるほど、まだ見えない未来より、慣れ親しんだ過去のほうが安心できるようになる。「今のままでいられるはずがない」と分かってはいても、転機を作り出す勇気がなくなる。それが年というものだ。
ただ、人生が100年になるというこの時代に、38才の私には過去が37年と、未来が61年ある。感覚的なことを抜きにすれば、どっちが合理的かは、とっくの昔に明らかなのだ。
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自分らしく根を張ること
植物コーナーを模様替えした。
寄せ植えを掘り起こし、株分けをしたのだが、驚いたのは根の張りかた!表からは想像もつかないほど、たくましい根を張っている。
植物っていうのは、水をやってもやらなくても、気まぐれに株分けしたりしても、自分なりに根を生やし、ちゃんと成長するもんなんだな〜。
最近読んだある本に、「自分らしさ」というものは、探して見つけるものではなく、まして世間のモノサシで決めるものでもなく、自分の価値観や習慣で、淡々と過ごす毎日そのものなのだ、と書いてあった。
世は連休だったというのに、地味〜に過ごしたワタシ。遊びほぼなし。
しかし!強く根を張る植物のごとく、自分の努力を続けていく。仮に今日した努力の結果が、明日すぐには出ないとしても。
小さな進歩を感じているから、少なくとも間違った方向ではないのだ。