老人ホームで暮らす祖母(96才)に「新品の葉書」を送ってあげた。
「葉書が欲しい」とスタッフさんに頼んだが、まだ買ってもらえていないことが分かったからだ。
祖母は2月まで、母(73才)の近くで暮らしていた。毎日のように顔を合わせていたが、歩けなくなったためホーム入り。親族に会う頻度は、月に数回となってしまった。
食べる、寝るしかないような、ホームの暮らしは退屈そう。それでも離れて暮らしていれば、伝えたいことも溜まるのだろう。
葉書といえば私には、昔、集めたコレクションがあった。主に海外旅行で集めた印象派の絵画で、クッキーの箱にしまってあるが、残念ながら「開かずの箱」と化してしまっている。「葉書が欲しい」と聞こえた瞬間、「あれの出番だ!」と閃いた。
早速、箱の中から夏っぽい6枚を選び、封入。郵便局まで出かけて63円切手も書い、シートごと入れて投函。
きっと明日か明後日には、祖母はあの部屋でその封筒を受け取る。
「ゆかこ…娘の…娘じゃったかいね?」と首を傾げつつ封を切る祖母。中の葉書を確認すると、よたよたと立ち上がり、誰に何を書くつもりだったか記憶を取り出すようにして、ペンの入った引き出しを開ける。
そんな姿を想像したら、食べる、寝るしかないような祖母の暮らしに、私が新風を吹き込んであげたような、とても爽やかな気分になった。
前回も書いたように、「誰かを想う」ことは原則的に楽しい。
今回の葉書は多くが、母のところに送られるだろう。書いているその間、母を想って祖母は楽しむ(きっと)。受け取った母にしても、娘の葉書に老母の文なんて、ちょっと素敵なコラボじゃないか。
私が祖母を想い、祖母が母を想い、母もきっと私を想う。そこに小さな喜びのループが生まれる。
稼ぐ力のない私は、高いものを買ってあげることができない。けれど喜びだけなら、知恵と工夫で作ってきたきた、つもり。
それにしてもこの頃は、不安なニュースばかりが溢れている。日本の未来ははっきり言って明るくない。
が、そこでどう暮らすかが工夫のしどころというもので、不安が不安を煽り、恐怖が恐怖を煽るように、喜びは喜びを煽ることができる、と私はどこかで信じている。
まぁ、そこまで大層なエピソードでもないけど😅不安や恐怖に苛まれるときほど、目の前の人を大切に、喜びの自給自足でもしてみるのはどうだろうか。