2022年9月末。43才にして初めて妊婦になりました。
年齢が年齢だけに、まず押し寄せたのが不安と戸惑い。嬉しくないの?と問われれば、もちろんそんなことはないけど。
そんな感じで始まった10月の目標は、
この現実を全力で突破する
こと。
40代の妊娠は、50%が流産する。その70〜80%は卵子の老化による染色体異常が原因で、12週までの初期に多い。
といわれる中で、まずは流産しないこと。これを目標に定めたのでした。
この文章を書いている今は11週。つわりもほぼなくなり、検診も月1回になりました。月1回しか見なくて良いということは、「赤ちゃん生きてるかなぁ?」といちいち気を揉む必要がなくなったのだろうと解釈していますが、一旦ここで妊娠発覚から今までの1ヶ月をふりかえってみることにします。
- 10月1日(妊娠5週)
- 10月2日〜8日(妊娠6週)
- 10月9日〜15日(妊娠7週)
- 10月16日〜22日(妊娠8週)
- 10月23日〜29日(妊娠9週)
- 10月30日〜31日(妊娠10週)
- というわけで11月の目標は
10月1日(妊娠5週)
検査薬の結果を受け、近くの産婦人科へ。Googleの口コミにあった通り、知的で紳士な先生が丁寧に見てくれた。「胎嚢」という赤ちゃんの袋ができていたが、赤ちゃんはまだ見えず。
病院までの道すがら、金木犀の香りを感じた。
10月2日〜8日(妊娠6週)
早くもつわりが弱まる。今考えれば食べ物を工夫した結果だけど、このときは流産を疑っていたので、流産とはどんな状態になることなのか調べまくり、ドラッグストアで大きなナプキンと鎮痛剤を買った。
流産の準備を粛々と進める一方、メンタルのほうは不安や怒りで忙しい。何で私だけが痛い思いをしなきゃならないんだ。一人暮らしのまま、危機に備えなきゃならないんだ。そんなことをノートに書き殴っていたら、平日の昼だというのに彼が来て(健康診断だったらしい)、一気に雪が融けた。どうやら、不安でいっぱいだったみたいだ。
10月9日〜15日(妊娠7週)
病院へ行くと予想に反して「赤ちゃん元気ですよ」とのこと。心拍も確認できたが、母子手帳をもらうのは来週まで待ってとのこと。赤ちゃんは胎嚢の隅のほうにいるらしく、先生が「すみっコぐらし」と命名してくれた。
早くも妊娠に適応したのか、体調はそこそこ良い(胃もたれと睡魔ぐらい)。一方、彼はこの間も適応できないみたいで、最近態度が冷たくなった理由を聞くと「不安なところを見せたくなかった」とのこと。彼はネガティブ中のネガティブなので「できない理由よりできる方法を考えよう」と励ます。っていうか、妊婦はこっちなんですけど!
こんな状況について、母に相談したかった。けれど、今は微妙なタイミングだ。
…と迷っていたら、まるで虫の知らせでもあったみたいに母のほうから手紙が来た。とりとめのない言葉の中に(珍しく)愛を感じる内容で、赤ちゃんを産むということは、こういう親子になることなんだと思った。
さて、「できる方法」に応答したのか、彼が1年分の給与明細を送ってきた。「安月給でごめん」と謝っていたが、これを元にFPさんが書くようなライフプラン表を作成したら、年金など不安材料はあるものの、贅沢さえしなければ何とかなりそうに見えてきた。
翌日、それを見せながら説明しようとしたが、彼の態度がどうも「堕ろして欲しがっている」ようにしか見えない。高齢出産による体のリスクや経済的負担の大きさなど、ネットで不安な情報ばかり目にしてしまったようで、この期に及んで「できない理由」ばかりを口にする。
何で男のオマエが不安丸出しで、妊婦の私が冷静なんだよ!
感情にそっと寄り添い、優しく諭していたのがアホらしくなって、気づいたらこう叫んでいた。
「産んで傷つくのは私!堕ろして傷つくのも私!あなたの体には何も起きない。私の体の権利なの!
不安があるのは私のほう。『俺が何とかする』ってどうして言ってくれないの!?」
今考えれば、私ではなく赤ちゃんが叫んだのかもしれない。彼は目が覚めたような顔で「…頑張るよ」と言ってくれたが、30分後に出血があった。流産か。
10月16日〜22日(妊娠8週)
出血は多くないが少なくもなく、病院で「切迫流産」と診断された。原因は昨夜の喧嘩だろう、とのこと。血が止まるまでは絶対安静。彼は本当に目が覚めたようで、せっせと買い物に出かけてくれた。
結局、土日だけ寝て月曜からは平常運転。ほっ。
保健所へ行って母子手帳と書類いろいろ、少しの赤ちゃんグッズをもらった。40代妊婦はいるかと聞くと、文京区は多いとのこと。
それを受け、果たしてこの高齢出産は無謀な挑戦なのか否か。一般的な意見を求めたくYahoo!知恵袋に投稿したら、8人中7人が「産め」。経済的な懸念なんか何でもなくなるぐらい、子供の存在には価値がある、とのこと。
ちなみに彼が後ろ向きだったのも、ただ不安だったというより、前提としては子供が大好きだからであって、高齢な親ゆえに不自由な思いをさせること、体力的に充分な子育てができないことなどが理由だったと判明。「ペットは大好きだけど、死んだら悲しいから飼いたくない」みたいな感じ。その前提で対話をすれば、意思疎通できることが分かった。だったらそのように表現してくれ。
10月23日〜29日(妊娠9週)
妊娠発覚以来、初めて前向きな気分で迎えた週末。晴天のもと公園で散策を楽しみ、もうちょっと出かけたい気分だったけど、そこは自粛して図書館へ。めっちゃくちゃ素敵なベビー服の本を見つけ、「こっ…これ作りたい!」となる。
そこで気づいたのは、妊婦の楽しみはこういうところにあるのに、流産の不安があったため、ブレーキをかけていたということ。が、改めて考えてみると、流産の壁さえ越えてしまえば、健常に生まれる確率のほうがはるかに高いわけだし(95%以上)、自分がぬか喜びしたくないためにブレーキを踏むなんて、赤ちゃんに対して失礼じゃないか。大体最近の私は、感情のケア&コントロールがかなりできる人になったので、ぬか喜びぐらいどうってことないようも気がする。ということで、ベビー服作りには取り組む(決断!)。
そんな中、彼は毒親と決別することにアクセルを踏んでいる。そのせいで私のケアは手薄だが、生憎ケアなどなくても生きられてしまう私…。
とはいえ、こっちのプロジェクトを遅らせるわけにはいかないので、最低限決めなければならないこと(入籍する日、出生前検査の日)は決めた。
そんな中、母から連絡が入り、兄が目の病のため泊まりがけで救援に行くことになったそう。「年を取ったから大変だ」といいながらも、息子に求められることを喜んでいるように見える。老体に鞭打つようで申し訳ないが、来年は私のところにも来てほしい。
10月30日〜31日(妊娠10週)
久しぶりに病院のない週末。若者はハロウィンの季節だが、私は神保町の古本市へ。
ここ最近、妊娠・出産以外のことに全く興味が行かず、平日の夜なんか寝てばかりいたが、山積みにされた古今東西の本を見ていたら、眠っていた好奇心が刺激され、「世界って楽しい!」みたいな気分になった。
そうそう、私がこの年まで未婚だったのって、この好奇心を満たすことにばかり意識が行っていたせいだけど、今後は広い世界に好奇心を向け自分に翼を生やしていくことを念頭に置きつつ、世帯を持ち自分に根を生やしていくこと両立していきたい。
というわけで11月の目標は
人間らしい生活習慣を取り戻す、にします。
妊娠前の習慣をすっかり放棄してしまっていたので、せめて半分の水準までは戻したい。