ゆかこの部屋

小さな幸せを集めて貯めるblog

KYON2を好きになった日|あなたとラジオと音楽と

こんばんは。6/26(金)の夜です。

10日も穴を開けてしまいましたが、今日から多少ふわふわ自由に、再開していこうと考えています。

 

というのも、コロナ禍の3月以降、政治やら社会やらに目を向けていたのですが、私なんぞには無理だなと。それをテーマに「書く」というのは。

もちろん「目を向ける」のは向けるけど、アプローチはもっと自然体でなきゃできない。

 

そのきっかけになったのは、KYON2こと小泉今日子さんです。

6/21(日)に放映されたラジオ特番を聴いていたら、そんな気分になったのでした。

小泉今日子

radiko.jp


「小泉今日子 あなたとラジオと音楽と」 

KYON2っていったら、今も昔も人気者。特に50才以上の男性たちは、私の好きな奥田民生含め、誰もが「ぽっ」となる存在らしい。

私はもちろんそういうことないけど、「#検察庁法改正案に抗議します」で注目し、その流れで聴いてみたのです。

結果、KYON2が人気者である理由が分かったというか、自然体だから良いっていうか、とっても素敵な番組で、3回も聴いてしまいました。

 

そもそもラジオっていうのは、「私に対して」喋ってる感じがするじゃないですか。TVと違って映像がないせいか、電話でもしてるような錯覚に陥るというのか。

だから、あのKYON2が私に喋ってる感じがする。

これが第一段階で、また内容が「誘(いざな)われる」。

 

特番のテーマは「あなたとラジオと音楽と」でした。

コロナ禍でどう過ごしてる?→リスナーからの投稿を通して→(KYON2は)TVやNET動画見てたけど、ラジオも聴くようになったよね。

みたいな、まるで久しぶりに会った友達みたいに始まり、どんどんどんどん、キョンキョンの暮らしぶりやアイドル時代のエピソードなんかに引き込まれていくわけです。

いうなれば、KYON2を中心に、全国のリスナーと同じ卓を囲んでるような感じ。

例えば、中森明菜の曲がかかるとき、KYON2が「明菜ちゃんは同期で同士」と懐かしんだり(デビュー曲の「スローモーション」が名曲!)、志村けんに関する投稿が来て、その死を悼みながらも在りし日の夢を偲んだり。

最後、KYON2自身の楽曲「My Sweet Home」から「父の日」に流れる辺りは秀逸過ぎて泣けました!!!

 

まぁ何というか、KYON2という「ママ」を中心にゆるゆる飲めるバー感覚です。単に音楽だけ聴いてるんではなく、単にトークだけ聴いてるんでもなく、投稿したリスナーとKYON2自身の追憶や感情に、一緒になって寄り添う感じ。

聴いているその時間、自分の中で「共感」なのか「優しさ」なのか分からないけど、とにかく温かい感情が泉のように湧いてくるのを感じ、とっても幸せになれました。

KYON2はラジオ自体が久しぶりらしく、喋りが巧みなわけではないし、リスナーの名前も読み間違えるし、途中で(スポンサーの)チョコ食べ始めるし、そこがまた自然体で、「癒し」になるのかもしれない。

ちなみに最後は「都知事選行きましょうね」とのこと。

 

KYON2って、凄い。 

ということでこのブログも、目指せKYON2のラジオ。いろいろ考えると書けなくなるので、自然体で行くつもりです。

純粋さと実力は両立するか|なぜ君は総理大臣になれないのか

映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』を見てきました。

6/13(土)に公開以来、連日満員というこの作品。現職の政治家を追ったドキュメンタリー映画ですが、今年見た中でベスト3ぐらいに良かったです!

何が良いって、「政界のリアル」が分かり勉強になるという面もありますが、何より「日本を良くしたい」という小川さんの純粋すぎる想い、それゆえ「政党政治」に翻弄されてしまう姿が、予定外に泣けてしまったのです。

この人は、アレですね。政治家という生き物を2×2のマトリックスに分けるとしたら、小池百合子安倍晋三とは対極、ムヒカ大統領とは同じか近い枠に入る人ではないでしょうか。

希望の党』に希望はなかったけど、こういう議員がいたことに、少し希望を感じました。

www.nazekimi.com

僭越ながら、映画の中身を紹介しましょう。

ドキュメンタリーの始めは2003年。「日本を良くしたい」という想いから、東大を出て自治省(今の総務省)に入った小川さんでしたが、官僚の立場でそれを実現することに限界を感じ、退職。32才で民主党から、衆議院選挙に立候補します。

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ところが、同じ選挙区の対立候補は地元メディアのオーナー一族(強すぎ・・・)でもある自民党の平井氏。「爽やかさ」ぐらいしか取り柄のないピカピカの1年生候補が太刀打ちできるはずもなく、得票率10%の差をつけられ敗北を喫します。

その2年後、辛くも比例で当選しますが、党内には選挙区>比例のヒエラルキーがあるため、政権どころか党内ですら出世できない日が続くことになりました。

小川さんは自称「日本を良くしたいオタク」。日本を良くする政策をあれこれ考えてきたのに、出世のために求められるのは、党利党益≒与党の批判や揚げ足取りばかりだったのです。 

本作で多くの尺が割かれているのは 、2017年の衆議院選挙です。

この時期に起きたことといえば、小川さんが所属する民主党の分裂・再編。そして当時、女性初の都知事として脚光を浴びていた小池百合子が(何故か)立ち上げた『希望の党』へ、小川さんのいる民進党も合流・・・という流れから一転、小池が「全員は入れない」などと翻したもんだから、「あんな卑怯な党に入るなんて!」と小川さん自身も非難を受けることになります。

逆風吹き荒れる選挙戦。今度こそ「選挙区で」勝ちたいのに!

妻は支援者に頭を下げ、両親は知人に電話をかけ、10代の娘2人は父と一緒に商店街周り。遠方から駆けつけた友人(大学教授)の応援演説がまた泣ける!全員野球の選挙戦です。

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そして、声をがガラガラに枯らしながら迎えた投票日、家族や後援会メンバーが固唾を飲んで見守る中、開票結果が出たのは深夜1時過ぎのこと(=接戦だった)。

・平井氏 81566票

・小川氏 79383票

得票率では僅か1.4%の差で、敗北・・・。

直後のがっくりと肩を落とす姿。本人が一番悔しいのに、集まった一人一人と握手を交わし「ありがとう」「ごめんなさい」を繰り返す姿。その無念さを想像したら、私も涙が3滴、4滴。

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ちなみにその後、小川さんは比例復活を果たしますが、同じ高校の2年先輩で、東大→官僚→民主→民進希望の党という流れも同じ玉木雄一郎氏は現・国民民主党の党首ですから、比例=出世が遅いのは実際その通りなのでしょう。

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さて、そんな小川さんですが6/11(木)の『JAM THE WORLD』に出演していたので内容を少し紹介します。引用が雑なので、できれば直接聞いてくださいw

※6/18(木)まで『タイムフリー』で聞けるはず

radiko.jp

まず、安倍政権は何故長く続いているかと問われた小川さん。

自民党の執念深さは、「権力の維持」に関してはあらゆることを乗り越えてくる。政策も人間関係も(←野党の考えた政策を横取りすることも含め)。そういう意味でプロ(の与党)だと思う。

ところが、野党はみんな自己主張が激しくてなかなかまとまれない。『権力なんて要らないから純粋でいさせてくれ』的な風紀がある。

それでも野党が必要な理由として、

(イギリスに)『保守政権は天然もの、非保守政権は人工物』という言葉がある。

自民党(=保守)は強いもの、富裕層、力のある人たちを背景にしているので、政治権力を持つことは「自然」なこと。

ところが、世の中には頑張って働いて自分と家族をぎりぎり支えてる、弱い立場の人、必ずしも富裕でない人もいる。そういう人の声を受けるのが旧民主党勢力(=非保守)だ。

(野党が)純粋にそうなりきれてるかは別として、大きくいうと力の強い人たちの声を代弁する勢力と、そうじゃない人たちの声を背負う政党とがバランスを取らなきゃいけない。ということは、野党がときどき(人工物のスペアとして)政権を取らなければならない。

にもかかわらず、2009-2012年の民主党政権が短命に終わった理由を問われると、 

自民党は極めて権威主義国家主義。国家のメンツや体面を維持する人たち。一方で自分たちは、市民の自由や人権に寄って立つ勢力。

但し、その理念を実現しようとしたときに素人じゃダメで、政権を運営するプロとしての気構え、ノウハウも必要だったはずなのに、(民主党には)それがなかった。

政権交代は野球の攻守交替に似ている。

与党は守備について社会を混乱させることがないように守りを固めている。野党は打席に立って、守備の弱いところを突く。何故なら守備が弱いと、その被害を受けるのは国民だから。

ところが民主党が政権に立ったとき、民主党は守備位置についてバットを振っていた印象があった。

政権を担当するとはどういうことか、国家を統治するとはどういうことか、それが体に浸み込んでないと、理想論や政策論だけじゃどうにもならないと感じた。

とのこと。極めて真っ当な分析というか、こんなに分かってる人に「与党の揚げ足取り」だけさせるのは勿体ないような気がします。

ちなみに私が好きなのは、終盤の「理想とする社会」に関して。

北欧は税金が高いけど、国民は不満に感じていない。ちゃんと自分たちのために遣われていると分かってるから。

北欧の人は「政治家が汚職をするなんて信じられない」という。一方日本では「政治家が汚職をしないなんて信じられない」。「あんな信用できない悪いヤツらに税金なんてビタ一文払いたくない」となっている。

北欧では「安心社会」ができている。教育、医療、福祉が無償。年金も万全だから、国民は安心して暮らし、何が起きるかというと貯金をしなくなる。すると経済が回る。日本で起きていることはその逆。

信頼が連鎖している国と、不信が連鎖している国の違いだ。

確かに私も、節約しちゃー貯金しているけれど、「不安だから」とは気づかなかった。貯金=当たり前すぎて。

要するにこれは、未来の不安のために今の楽しみを削っているということでもあり、「そんな人生は幸せか?」という問いにも通じるものがあります。

そして小川さんは、こうして話を結んでいます。

政治家と国民は車の両輪。

(北欧で)信頼できる政治家を選んできたのが国民なら、(日本で)信頼できない政治家を選んできたのも国民。 政治一流/国民三流もなければ、政治三流/国民一流もない。 

なるほど。

仮に日本が豊かでないとすれば、仮に人生が幸せでないとすれば、それが実現できる政治を国民が選んでこなかったからだと。

優れた政策より、パフォーマンスとポジション取りが重視される政治を、国民が許してきたということでしょう。純粋な政治家が出世できないないとしたら、「それが実力」ではなく、そんな政界を国民が選んだということでしょう。

一国民としては「自浄」を期待したくなるけれど、まずは一流の政治家を選べる一流の国民に、自分がならなければならないようです。

差別の構造Ⅱ|それでも夜は明ける

アメリカでの反人種差別デモが、大きなニュースとなりました。

奴隷制廃止から100年以上経った今でも、差別が続いているその背景には「利権に屈する為政者」と「不安に屈する市民」の存在があるのではないかと書きました。

tokyo100k.hatenablog.jp

前回は、やや為政者側に寄ってしまいましたが、ではでは市民側はどうか。

自分が殺されかかっても、「差別は良くない」なんていえるのか、それを考えさせられるに至った、1本の映画を紹介します。


映画『それでも夜は明ける』予告編

2013年に公開され、アカデミー賞も取った映画『それでも夜は明ける』。

舞台は1840年代のアメリカ。「奴隷」が高値で売買された時代に、自由黒人(=法的に奴隷身分ではなかった黒人のこと)でありながら拉致され、12年もの間奴隷となったソロモン・ノーサップ氏の自伝が原作です。

 

私は子供のころ、『アンクルトムの小屋』という映画で奴隷制を学びましたが、今回の映画も負けず劣らず、惨い。奴隷制を描く以上、惨くならざるを得ないのでしょう。

・男女関係なく裸で並べられ、丈夫な「家畜」かどうかを品定めされる奴隷市場

・(ノーサップ氏が)優秀だったために、白人の中間管理職に睨まれ、首を吊られ殺されかけるも、誰一人助けようとしなかった農場での1日

・(当時の大産業であった)綿花摘みが巧く、白人の主人に気に入られたために性的搾取まで受けることになったノーサップ氏の仲間

・その彼女が働いたちょっとした粗相に対し、(主人の代わりに)ムチ打ちするよう命じられたノーサップ氏の葛藤

などなど、映像で見れば1000倍惨いから見て欲しいですが、私が悲しかったのは奴隷制というよりも、そこにいる人たちから「良心」が奪われていく過程でした。

 

奴隷制は昔のこと。

こんなに惨たらしいことは、今の世界では起きてない。

と、日本にいれば考えがちです。

 

が、構造として、近いことは起きているはず。

例えば会社で、学校で、正しくないとは分かっていても、権力者側に立ってしまうこと。弱い者いじめに加担してしまうこと。

最近多い「誹謗中傷」界隈もそうかも。同じ市民であるはずなのに、何が中傷に走らせるのか。「やらなければやられる」という「不安」が背景にあるのでしょうか。

 

さて、元の問いに戻ります。

自分が殺されかかっても、「差別は良くない」なんていえるのか。

・・・私にはいえません。

単なる「昔のこと」じゃない。人間はここまで、惨くなることができるのです。

だから体制そのものを、否定しなければならないのでしょう。

良心を奪われ、自分がその加害者になってしまう前に。 

差別の構造Ⅰ|13th -憲法修正第13条-

2020年6月前半のニュースといえば、アメリカ全土で黒人差別に対する抗議デモが広がったことでしょう。

連日、目を覆うような映像を目にして、ちょうど香港(や東京)のデモと重なったこともあり、もやもやと気分の晴れない日が続きました。

 

差別は良くない。

これは、子供でも分かる「普遍」のはずです。なのに、何故なくならないのか。

昨夜はこんな問いに対して、答えをくれる映画を見ました。

答えは「人間の弱さ」。これを正しく認め、方策を講じることが、永遠のテーマなのだと感じました。

 

映画は『13th -憲法修正第13条-』というドキュメンタリーです。


13TH | FULL FEATURE | Netflix

アメリカの黒人差別は、17世紀~19世紀まで続いた「奴隷制度」が発端。

その奴隷制度は、本作のタイトルでもある、

1865年のアメリカ合衆国憲法修正第13条の成立で終わったことになっている。Wikipedia

が、その13条に「抜け穴」があるため、事実上、その体制は続いているという内容です。

奴隷制もしくは自発的でない隷属は、アメリカ合衆国内およびその法が及ぶ如何なる場所でも、存在してはならない。ただし犯罪者であって関連する者が正当と認めた場合の罰とするときを除く。Wikipedia

 

本作はドキュメンタリーなので、徹底的な取材により構成されています。曰く、

アメリカの人口は世界の5%だが、アメリカの受刑者数は世界の25%を占める。

アメリカの白人男性は17人に1人しか逮捕されないが、アメリカの黒人男性は3人に1人逮捕される(①)。

客観的に見て「ん?」となる数字ではないでしょうか。

要するに、アメリカの黒人男性が逮捕されすぎているということです。軽微な罪でも「犯罪者」に仕立てられ、不当に収監されているのです。

では、それで得をするのは誰か。

映画が伝えるのは、70‐80年代の政権における黒人差別の「政治的利用」、そして90年代以降における「利権としての刑務所産業」です。

詳しいことは映画見てくれって感じなんですが、

要は、治安が悪くなる原因=黒人というイメージを作り、断固として闘う大統領候補=自分として、票集めを行った(②)。90年代に入り刑務所運営が民営化されてからは、その会社を儲けさせるため、厳罰化の法改正までして受刑者(=刑務所の住民)を増やしたということです(③)。

利権に弱い為政者を、不安に弱い市民が支え、その犠牲に黒人がなる。

「人間の弱さ」が土台になった社会です。

 

ちょっと前の私ならきっと、「うわぁ、アメリカ怖い」で終わってしまったことでしょう。日本には「黒人対白人」というほど、分かりやすい対立がないからです。

ですが、例えば①のような不均衡は、日本の「米軍基地」が

国土面積の約0.6%しかない沖縄県に、全国の米軍専用施設面積の約70.27%が集中している。Wikipedia

ことにも見られるし、

②のような政治的利用は、わざわざ『東京アラート』なる基準を作り、選挙を前にそれを「クリア」して見せた小池百合子の姿だし、

www.tokyo-np.co.jp

③のような、まるで人権を担保にした利権構造は、『サービスデザイン推進協議会』のようなところにも見られるわけです。

www.tokyo-np.co.jp

 

「人間の弱さ」を土台に、得をする人と損をする人の差が、日本でも明白になっています。

ですが、アメリカほど分かりやすい対立構造がないので、問題の本質や、対抗策が小さく見えがちなのかもしれません。

心がけたいのは、世界の情勢に目を向けること。悲しいことは悲しいと感じ、内面化し、その構造に目を向けること。

小さくても、それぐらいならできるはず。

奥田民生とラジオと|Monthly Artist File

TBSラジオ伊集院光とらじおと』に奥田民生が出演していた。6/17に新曲が出るので、プロモーションをしているらしい。

ふむふむ・・・・・・新曲・・・・・・ハクション大魔王の主題歌ですか!!!

55才になってもなお、「ななめ上」を行ってくれる人だ。


奥田民生 -「サテスハクション」15秒SPOT#1

民生がラジオで喋るのを、恥ずかしながら初めて聞いた。

「芸能人はラジオに出る」という今更すぎる気づきを得て、次にしたのは「radikoで検索」。

すると、出てきた出てきた。TOKYO FM『Monthly Artist File』では、今月のパーソナリティを務めるらしい。

ぱ、パーソナリティ!「今月」ってことは、4回も聞けるんですか!

www.tfm.co.jp

1回目の放送は、ソロデビューから25年の復習的な内容。オンエア曲は『イージュー★ライダー』『愛のために』『恋のかけら』『ありがとう』『さすらい』『マシマロ』からの『55』『サテスハクション』。

な、懐かしい。

 

民生を好きになったのは、まさに25年前だった。

夜中に『COUNT DOWN TV』を見ていたら、ユニコーンのボーカルだった奥田民生という人が『愛のために』を歌っていた。私は、弱い雷にでも打たれたようになった。

それからほそぼそファンを続け、今でも「好きな有名人」を聞かれれば答えるレベルには好きだが、ソロデビューから25年ですか。そりゃー私も40過ぎるわ。

 

私は民生の「頑張らない感じ」が好きだ。ほっとくと頑張りすぎる性質ゆえ、頑張らない人の姿を積極的に取り入れる必要がある、と自己分析している。

最近もまぁ何というか、コロナきっかけの危機感から頭でっかりになりすぎた。政治のこととか社会のこととか、考えることは大切だけど、自分が非力すぎて虚しくなる日もあった。こればっかりではメンタルに良くない。

 

と、そんなときに民生である。

「考えすぎ」の強制終了。

未来ばかり考えすぎず、現在の感覚も大切にする。「好き」という感覚を。

心が体内に、戻ってくるような感覚に陥る。「落ち着く」ということだろう。

そういうわけで最近は「情操教育」の波が来ていて、パステル画を描いたり、夏なのに編み物を再開したり、考えることから離れ、好きなものに触れる時間を、敢えて作ったりしている。

好きなものを好きだと自覚し直しているのだ。

もちろん社会の一員として、「考える」ことを放棄するつもりはないけど、「現在」をどう扱い、「未来」をどう扱うか。

目的は「幸せになること」なので、そのピントは、ちょうど良いところに合わせたい。

https://www.instagram.com/p/CBUF-8El5Gg/

為政者は選ぼうⅡ|女帝 小池百合子

こんばんは。

気づけば、10日ぶりの投稿になってしまいました。世の中いろいろあり過ぎて、何から書けば良かったやら。

しかし、混沌とした中でしか書けないこともあるわけですから、ぼちぼち書いていくことにします。古いネタも混ざりそうですが、その辺はご容赦ください。

 

さて、昨日は一日中「ある本」を読んでいました。

都知事選を前にベストセラーになっている「女帝 小池百合子」 です。

小池百合子といえば、「芦屋の令嬢」や「名門カイロ大学を首席で卒業」といった華やかな経歴が有名ですが、「それ、全部嘘ですよ」という内容でした。

帯には、

 救世主か?怪物か?彼女の真実の姿。

とありますが、「救世主ではありません。怪物ですよ」という内容でした。

まるで、韓流ドラマです。

韓流ドラマに出てくるこういう人です。 


【絶品】中川家の韓流ドラマの電話の切り方wもう面白過ぎ!!

 

「悪趣味な暴露本」だと、揶揄しているわけではありません。

フィクションであって欲しいのです。こんな人がいるなんて、現実として怖すぎるのです。

例えるなら、9.11のWTC崩壊や3.11の津波を見たとき、「えっ、これ現実?」って唖然としたじゃないですか。

同じように、現実に存在してはならないのです。まして、為政者としてなんて。

 

内容をざっくり紹介しましょう。

ノンフィクション作家である著者の石井妙子さんは、3年半にも及ぶ取材を敢行。100人を超えるインタビューを通して、以下を明らかにしました。

  • 小池百合子は「芦屋の令嬢」ではない
  • 「名門カイロ大学を首席で卒業」していない
  • メディアを巧みに操ることで、華やかな経歴という「嘘」を既成事実にしてきた
  • 「政界渡り鳥」と揶揄されるように、ときの権力者に巧みに取り入り、踏み台にしてきた
  • 過去の都知事対立候補、元恋人に至るまで、自分と敵対した者は完膚なきまでに叩きのめしてきた
  • 仮想敵を作り(主に既得権オジサン)、それに屈しないヒロインを演じてきた
  • 「弱者の味方」をすることもあるが、単なる演出、人気取りである
  • 自分が脚光を浴びたいだけで、政策には興味がない
  • その異常なまでの虚栄心は、芦屋の令嬢「ではなかった」少女時代の劣等感が根底にある etc...

ね、ドラマみたいでしょ。

ところがこれが現実として、膨大な量のエピソードと圧倒的な筆致で書かれているから、信じないわけにはいきません。

有名政治家の実名も次々と出てきて、今まで報道されたアレやアレやアレが、「あぁ、そういうことだったのか!」と、一本の線で繋がります。はっきりいって、面白いです。フィクションとしてなら。

 

ところが忘れちゃならないのは、この人が現実の為政者だってこと。

「為政者」に対する私の考えは以前にも書いた通りですが、 

tokyo100k.hatenablog.jp

 

苦しんでいる人の声に耳を傾けることができる

人を求めているのに、

「弱者の味方」をすることもあるが、単なる演出、人気取り

では困るのです。

それどころか、

メディアを巧みに操ることで、「嘘」を既成事実に

したり、

ときの権力者に巧みに取り入り、踏み台に

したり、

自分と敵対した者を完膚なきまでに叩きのめ

したりする人なんて、もう怖すぎてワケ分かんないでしょ。

 

最近は「東京アラート」に夢中なようですが、改めて公約を見てみると、ほとんど達成できていない。

自分が脚光を浴びたいだけで、政策には興味がない

小池百合子を、今、「フィクション」にしなければ!

小池氏4年前公約「7つのゼロ」大半未達成 都知事選あと2カ月:東京新聞 TOKYO Web

 

ところで、「女帝 小池百合子」の中で、ぜひ注目して欲しいのは、カイロで「百合子さん」と同居していた早川玲子さん(仮名)の告白です。

  • 「名門カイロ大学を首席で卒業」していないこと
  • 勉強はほとんどしなかったが、人脈作りには励んでいたこと
  • 男を「利用」するために結婚したが、「価値」がなくなったら離婚したこと

などが明らかにされていますが、早川さんはこれを「嬉々として」告白したわけではありません。

早川さんの見る限り、「百合子さん」の学歴詐称は明らか。嘘を土台に権力を握るなんて、為政者としてあるまじき行為。50年近く口を閉ざしてきたけれど、ついに「良心の呵責」から、告白することを決めたのだそうです。

ところが日本のメディアはそれを、まるで書く気がないらしい。エジプト政府も買収されているようだ。

早川さんは嘆きました。

日本もエジプトと一緒なんでしょうか。権力者は守られ、すべてがまかり通るという国になったんでしょうか

それを聞いた石井さん(著者)は、何が何でもこの本を出すべく、

すべての証拠品のコピーを取り、信頼できる友人に保管を頼み、何かあったら私に代わって記事を書いてくれと編集者には頼んだ

といいます。

まるで、森友・赤木さんの遺書を世に出した雅子さん(妻)や、元NHKの相澤さんじゃないですか。

 

嘘と虚栄心の為政者か。命がけで真実を追求する市民か。

7月5日は都知事選。

誰を信じるかは、都民次第です。

校則で思い出す「学校」という世界のこと

祝!

テレワーク延長決定!!

出社上限は週に2日まで!!!

良かった良かった。感染したってろくに検査も受けられないのに「元に戻る」とかあり得ませんから。

思考停止してない会社で良かった。柔軟な対応万歳\(^o^)/

 

思考停止といえば、「元に」どころか「戦前に」戻ったかのようなニュースがありました。

mainichi.jp

埼玉県深谷市の市立中学校が生徒に配ったプリントの中に、校内で「アベノマスク着用」を求めたと受け取れる記載があり、(略)

「アベノマスク着用の確認」「アベノマスクを忘れた生徒は少人数教室に残る」などの記載があった。

ちょっと前に「マスクは白に限る」というニュースもありましたが、今度は「アベノマスクに限る」ですか。

ほぼ全員が「左」だと感じているのに、「右へ習え」の学校。

学校着用マスクは白だけ?色限定に不満の声 新型コロナで品薄状態なのに… | 社会,学校・教育 | 全国のニュース | 福井新聞ONLINE

学校側の弁明は、

「有効に使ってほしい」という意図でプリントに記載したと説明。「忘れた生徒は残る」という記載については「罰則的な意味ではなく、忘れた生徒に予備のマスクを渡すことなどを予定していた」と説明したという。 

先生、これで伝わるわけないでしょうが。違和感なかったとしたら、思考停止じゃありませんか。

 

さて、このニュースを取り上げたのは、私自身が「生徒」だったころの、あるできごとを思い出したからです。

「みんな一緒」を礼賛する学校という世界。「先生」という生き物の思考停止っぷり。17才の私が、正面から憤慨したできごとです。

 

あれは1996年か1997年。私が高校2年だったころ。

私が通う県立の女子高では、セーラー服とスカートだけが「制服」として決まっていました。スカートの長さには規定があったものの、鞄や靴、コートといったものは基本的に自由でした。

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ところが!

その年の秋、セーラー服の上に着るジャケットとコートが、突然「学校指定」になったのです。

ジャケットとコートは、「任意」で着ている生徒もいました。が、デザイン的に人気がなかった。それが「指定」になったということです。

教室で改めて、価格表が配られました。

ジャケットとコート、合わせて8万円ぐらい。

うーん………。

私は高校2年生です。あと2シーズンしか着ないものに、8万円も払うべきだろうか。

コートなんて大体、黒か紺かグレーだろうに、指定にしてまで揃える意味があるだろうか。

結局、私は母に「買ってくれ」といいませんでした。母子家庭で頼みづらかったし、何より私が「8万円も出す価値はない」と考えたからです。

暖かい地域なので「厚着」で耐えることもでき、問題は解決したかに見えました。

ところが!

ある冬の日、どうしても寒い朝があったのです。そこで私は1万円もしない自分のコートを着て、学校へ向かいました。「1日ぐらい大丈夫だろう」と。

事件は、三島駅で起きました。

学校は文教地区にあったので、朝の通学路ともなると、大名行列ならぬ「生徒行列」が起こります。ぞろぞろ続く行列の中で突然、

「何だお前、そのコートは!制服と違うだろ!!」

と怒鳴られたのです。

怒鳴ってきたのは、同じ駅から乗っていた高齢の先生。電車の中で私を見かけ、降りたら叱ろう!と意気込んでいたようです。

「す、すみません………。」

私は昔からオトナなので、取り敢えず謝ってその場は事なきを得ました。 

学校に到着すると、担任の先生に呼ばれました。この先生は優しかったので、私は120%ぐらい憮然とした表情で訴えました。

「あんな高いもの、貧乏な家には買えません!」

「あれに8万円の価値はない」を端的に伝えたく、こういう表現にしたのです。その後、くだんの先生にも直接伝え、私は謝罪を受けました。

 

私が伝えたかったのは、校則だからって高額な買い物を強要して良いのか。先生ともあろう人が生徒の事情を勘案せず、大勢の前で𠮟りつけ恥をかかせても良いのか。ということです。

また制服指定の背景には、その決定者であった生徒指導の先生(体育教官)に、地元呉服店からキックバックが入ったという噂もあり、そんな金を母に出させたくないという想いもありました。

ま、予め意見を伝えなかった私にも非があるし、翌年には(何故か)生徒会長になったので、廃止にでもしてやれば良かったのですが、ことほどさように学校とは「生徒ファースト」な世界ではないのです。

アベノマスクの例でいえば、「政府から来た」というだけで重宝がる。何なら、どうしてあれほどの非難を受けたのか、考える教材にしたって良いぐらいなのに。

「校則」にただ縛られること、そこで思考停止すること、頭ごなしに叱ることを、果たして教育と呼べるでしょうか。

 

ちなみに、、、この後、コートは買いました。

「母子家庭だから貧乏だ」というのは私の勘違いで、母は同年、自分の店を少しの借金で開くほど隠れて貯めこんでいたのです。。。

学校ではなく母に忖度していた私。とんだ茶番ではありましたが、一番賢かったのは私の母だった、ようです。

資本主義という冷たさ|21世紀の資本

映画「21世紀の資本」を見ました。

経済学者トマ・ピケティ氏の、ベストセラーを映画化したものです。

経済学ってある意味、冷徹なまでの人間学というか、取ったメモはA4で5枚。頭が痛くなるほど勉強になりました。


『21世紀の資本』予告編

映画は、18世紀以降の世界で、格差がときに広がり、ときに縮まりしてきたことを紹介する一方で、現在の深刻な状況は、放置すれば18世紀のレベルにまで広がってしまうと警鐘を鳴らしています。

18世紀とは、フランス革命の時代です。

ブルボン朝が権勢を極め、貴族たちが夜な夜な踊り、財力と財力とが「結婚」を繰り返していた時代。

ルイ16世の妃マリー・アントワネットは、貧困と食料難に陥った市民を尻目に、「パンがないならケーキを食べれば」と発言したと習いましたが、何とその時代にまで遡るというのです。

 

キーワードは「R>G」。

「R」は資本収益率を示し、「G」は経済成長率を示しています。

ピケティ氏が過去200年のデータを分析したところ、Rは年4~5%も成長してきたのに対し、Gは年1~2%しか成長してこなかったそうです。

世界には「資本家」と「労働者」しかいないとすると、資本家は働かなくても豊かになれるのに、労働者は働いても少ししか豊かになれません。

豊かさを決めるのは、努力でも能力でもなく「どこの家に産まれたか」ということ。身も蓋もない話です。

 

では、「資本」とは何でしょう。

18世紀には「土地」、産業革命後(18-19世紀)には「技術」、植民地時代(19-20世紀)には「労働力(奴隷)」と、それを支配する人に、富の集中を許してきました。

資本家に富が集中すれば、大部分の労働者は不況下に置かれます。

不況は民衆の不満を煽り、分断や国粋主義は戦争へと至る………。

皮肉なことに、それは結果として、経済格差を是正してきました。戦争の後には復興が必要。復興に必要な大量の資金は、富裕層からの税金で賄われてきたからです。

 

タイトルでもある「21世紀の資本」とは、「グローバル市場」のこと。

インターネットの普及で、市場に国境がなくなりました。GAFAGoogle/Apple/Facebook/Amazon)を始めとするグローバル企業は、瞬く間に世界を席巻。世界中から利益を集めていますが、納税は免れています。籍をタックスヘイブンに置いているからです。

グローバル企業や資本家にとって、有利すぎるシステム!

このまま格差が広がれば、「エリジウム」という映画に描かれたように、富裕層だけが快適に暮らし、貧乏人は暑苦しくて不快な土地に暮らすよりなくなるかもしれません。

革命や戦争を起こし、是正するしかないのでしょうか。


映画『エリジウム』第1弾予告編

「そんなことはない」とピケティ氏はいいます。

格差を是正する方法はあります。グローバル企業や富裕層に「課税」すれば良いのです。

第二次大戦後の欧米がそうだったように、適正な課税システムさえあれば、「豊かな中産階級」の社会が作れます。

モデルにすべきこの時代、公平になったのは経済だけではありませんでした。女性や有色人種といった「弱者」の権利が認められるなど、人類は史上最高に豊かでした。今更、共産主義の幻を見る必要はありません。

ただ重要なのは、それを「システムにする」ということ。

ピケティ氏はこう断言しています。

富裕層の中に「分け与えよう」なんて心のある人はいない。決して性格が悪いのではなく、良家に産まれてさえしまえば、その運を人は能力と勘違いするもの。

それが人間。「人格」に期待するほうが間違い。

だから正しいシステムを作るのです。政治の力で。

 

ピケティ氏のこの提案、昨日引用した「ロスジェネのすべて」と重なりすぎて驚きましたが、フランス革命の時代に、モンテスキューやルソーといった「啓蒙思想家」が影響を与えたように、厳しい社会をどうにかしたければ、とにかく市民が賢くなって、政治を動かすしかないのでしょう。  

今の日本を考えてみると、消費増税の代わりに法人減税。黒川さんの退職金は払われるみたいだし、富裕層への課税なんて「夢のまた夢」という感じ。

市民にとっては、希望より不安の多い社会の中で、

不況は民衆の不満を煽り、分断や国粋主義は戦争へと至る………。

と書いたように、心の荒んだ人たちが、ネトウヨレイシストミソジニーへと化けていくのが目立ちます。自粛警察もその類でしょう。

ですが、人を傷つけたところで、社会が良くなるわけではありません。

どうしてそんなに荒んでいるのか、本当の原因は何なのか。それを是正する方法はあるのか。それを見つけるために、頭を鍛えたほうが良い。

もはや「右」も「左」もない。あるのは「まとも」かどうかだけ。

資本主義は冷たいけれど、目を向ける方向は、間違わないようにしたいものです。

https://www.instagram.com/p/CAmKglVgVAu/

自己責任という冷たさ|ロスジェネのすべて

年明けに転職して以来、住民税が天引きされていませんでした。

一昨日その徴収が来て、本日それを支払い完了。現金86000円也。高い…。

 

とはいえ、金銭的には(まだ)困っていない私。一方、世の中はそういうわけでもないようです。

生活保護の申請が急増したり、

www.chunichi.co.jp

「特定警戒都道府県」に指定されていた道府県庁所在地の多くで、四月の生活保護申請件数が前年から二~五割増えていたことが、共同通信のまとめで分かった。休業要請などに伴い雇用情勢が悪化しているためとみられる。(中略)コロナ関連の解雇や雇い止めが全国で一万人を超すことが判明するなど、生活保護の申請は今後、全国的に増加するとの見方が強い。

アルバイトできない学生に、食料が配られたなんてニュースも。

mainichi.jp

横浜市社会福祉協議会ボランティアセンター(同市中区)は22日、新型コロナウイルスの影響でアルバイト先が休業するなどして困っている1人暮らしの学生を支援しようと、食料を提供した。学生ら約170人が10日分の米やレトルト食品を受け取った。

この平和な日本で「食べるのに困っている」なんて。

私の育った日本は、今や違う国になってしまった。コロナ禍を通じて、そんな風に感じている人も少なくはないでしょう。

 

学生のニュースを見て、思い出したのは「年越し派遣村」です。

年越し派遣村とは、

リーマン・ショックの影響により派遣切り等がおき、複数のNPO及び労働組合によって組織された実行委員会が2008年12月31日から2009年1月5日まで東京都千代田区日比谷公園に、生活困窮者が年を越せるように開設した一種の避難所である。

Wikipediaより

「派遣」といえば、今でこそ当たり前にいる存在だし、現に私もそうですが、不景気の際には一番に切られる、それもまた派遣です。

この不安定な存在が「当たり前」になったのは、1999年「改正労働者派遣法」の施行以降。

そして20年のときが経ち、不安定な存在が増えているのです。派遣だけではありません。学生もそう。自営業者もそう。

しかしその原因をコロナだけに求めるのは間違い。長いときをかけて日本社会は、不安定になってきたのですから。

 

そう考えるに至ったのは、1冊の本がきっかけでした。

「ロスジェネ」とは、

現在の30代なかばから40代なかばを指す。

失われた世代。就職氷河期の影響をもろに食らった世代。貧乏くじ世代。非正規第一世代。

のことで、著者である雨宮処凛さんも、1975年生まれのロスジェネ。

ちょっと上の世代には「サザエさん」の「磯野波平」(54歳)がいて、

波平は正社員として勤めて世田谷に家まで建てて子も孫もいるというのに、私は独り身。当然、子もなく孫もない。 

と書かれています。

私は1979年生まれのロスジェネですが、今更ながら「あっ!確かに失われてる!」と感じてしまったのでした。

 

では、今まで私が社会を恨もうとしなかったのは何故か。

「自己責任」だと考えていたからです(自由奔放に暮らしてきたのもある)

ロスジェネは、これまで多くの言葉に苦しめられてきた。

「頑張れば報われるんだから歯を食いしばって頑張れ」「努力は裏切らないんだから限界まで努力を重ねろ」「お前より大変な人はもっといっぱいいる」「社会のせいにするな」などなど、その手の言葉には枚挙に暇がない。

それらを一言で表すなら、やはり「自己責任」という言葉に集約されるだろう。

貧しいのも、不安定なのも、正社員になれないのも結婚できないのも将来の見通しが立たないのもすべて自己責任。おそらく、ロスジェネはその価値観をもっとも内面化している世代だ。

仮にロスジェネは「自己責任」だとしても、2020年の今、食べるのに困っている若者に、同じことがいえるでしょうか。

 

この本の第3章(「自己責任」と江戸時代)には、「自己責任」という考えが、実は江戸期にもあったことが書かれています。

しかし今と違うのは、「家と村」があったこと。江戸期にはそれが「救済」として機能していたのです。例えば「補償なき休業要請」があったとしても、「家」というタテ、「村」というヨコの繋がりで、救済されたということです。

一方、今の日本に「家と村」はありません。代わりは「国家(政府)」に求めるしかないわけですが、その政府が90年代以降励んできたことといったら、産業を育てるでも人材を育てるでもなく、派遣の増産も含む単なる賃金カットでした。

20年にも及ぶ、救済なき自己責任。その結果が今、コロナ禍の不安定な社会に現れているのではないでしょうか。

 

では、この不安定さをどう打開すれば良いのか。

難しいテーマですが、第3章の結びを引用して、本題は次回に続きます。

もっとちゃんと、自分と他人のより良き生活のための「税金と国家の積極的な使い方」を考えるしかない。たとえば最低賃金を1500円にしろとか、正規労働をもっと増やせとか。あるいは消費税を廃止して、大企業から法人税をきちんととって、高所得層からも累進課税でもっと応分の税金をとって再配分するとか、もっと公務員を増やすとか、もともと生活保護を受けていた人が国会議員になるとか、そういう仕組みを考えて行くべきだと思います。

コロナ後を考えるⅡ|アベノマスク

2020年5月23日、「アベノマスク」が届きました。

緊急事態宣言も、週明けには解除かというタイミングでです。

「要らない」「遅い」「汚れている」と非難しか浴びなかったアベノマスク。私はこのアベノマスクを、記憶と共に保管しておきます。

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まず、アベノマスクが発表されたのは、2020年4月1日のことでした(遠い目)。

あまりに奇想天外でしたが、エイプリルフールではありませんでした。

www.jiji.com

安倍晋三首相が全世帯に布マスク2枚を配布すると表明したことについて、与野党からは2日、疑問の声が相次いだ。発表が1日だったことから、「エイプリルフールの冗談かと思った」などの声も上がった。

次いでその経費が、466億円に上ることが発覚。

「その予算をPCR検査に回せ!」など、日本中がツッコミの嵐と化しました。

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安倍晋三首相が表明した全世帯への布マスク配布の関連経費が466億円に上ることが9日、明らかになった。新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐ目的だが、多額の国費が投じられることになり、野党などから批判が出ることは必至だ。

4月中旬~GW前には、不良品が明らかに。

回収や検品に追加予算がかかることから、「要らない」という声に拍車がかかりました。

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厚生労働省は19日までに、新型コロナウイルス対策で政府が配布した妊婦用の布マスクについて不良品が見つかったと発表した。汚れの付着などの報告が約1900件寄せられたといい、同省は新品と交換する。健康被害は報告されていない。

「そして」というか「やはり」というか、火のあるところに煙は立ちます。

アベノマスクの製造元を巡り、福島市にある「ユースビオ」という、見るからにマスク作ってなさそうな会社への発注が明らかになりました。

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菅義偉官房長官は27日の記者会見で、新型コロナウイルス対策として配布した妊婦用布マスクに不良品が見つかった問題をめぐり、新たに福島市のユースビオも受注していたことを明らかにした。(中略)政府が既に公表した興和伊藤忠商事、マツオカコーポレーションと合わせ、受注業者は計4社となる。

 

「まさか」というか「やはり」というか、私はこの辺りから、政府に対し「期待」はもちろん「怒り」すら感じなくなっていきました。

と同時にそれは「賢い市民」を目指す、きっかけともなりました。

「黙ってたら殺される」という危機感のようなものから、4月中旬~5月中旬にかけて、そりゃもう、いろいろ勉強したのです。

日本の戦後史、米軍との関係、官僚機構とその弊害、支配層が取りたがる行動、権力とメディアとの関係、自粛警察に現れる日本人の国民性、それを育てたグローバル経済などなど、問題は本当に複雑でした。

そしてそれを解決するには、「賢い市民」が増えなければならない。

………ということを、今はひしひし感じています。

 

私は今後この発信を「賢い市民を目指す」「その仲間を増やす」ために続けようとしています。

そして、それを宣言するに丁度いいタイミングで、アベノマスクが届きました。「コロナ後」が始まる、今がそのタイミングなのです。

そういう意味では感謝しましょう。

ありがとう、アベノマスク!

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最後に、GW前に読んだ本「コロナの時代の僕ら」から、改めて引用しておきます。

 

(復興が始まったら)支配階級は肩を叩きあって、互いの見事な対応ぶり、真面目な働きぶり、犠牲的行動を褒め讃えるだろう、自分が批判の的になりそうな危機が訪れると、権力者という輩はにわかに団結し、チームワークに目覚めるものだ。

一方、僕らはきっとぼんやりしてしまって、とにかく一切をなかったことにしたがるに違いない。到来するのは闇夜のようでもあり、また忘却の始まりでもある。

もしも、僕たちがあえて今から、元に戻ってほしくないことについて考えない限りは、そうなってしまうはずだ。