日比谷で、「オードリー・ヘプバーン」のドキュメンタリー映画を見てきた。
ハリウッドの全盛期を飾るスターだが、ドキュメンタリーは初めてらしい。公式サイトによると、
永遠の妖精と呼ばれ、美の概念を変えた革新的な存在でスターとしての名声を得たオードリー。世界中から「愛された」彼女は一方、実生活では愛に恵まれなかった。
幼少期に経験した父親による裏切り、そして第二次世界大戦という過酷な環境で育ったオードリーは過去のトラウマと一生涯向き合うことになり、私生活にも影を落とすこととなった。輝かしい映画女優として活躍する一方、幾度の離婚を繰り返して愛に破れていく…
ということで、あの艶やかな姿からは想像のできない、あるときは過酷、あるときは孤独な生涯を、貴重な映像や近親者のインタビューなどから垣間見ることができる。
実は10代の頃、オードリーに憧れていた私。改めて感じたのは、彼女が決して「ただの綺麗な人」でもなければ「恵まれた人」でもなかったということ。スターとして脚光を浴びる一方、暗く重い影に引きずられた時期もあったのだ。
にもかかわらず、
後年は、ユニセフ国際親善大使として彼女は世界中の子供達のために、自身の名声を捧げ、この活動に生涯を捧げた。
とあるように、晩年は、世界中の紛争地域を旅していたオードリー。実は、63才で亡くなるかなり間際まで続けた、「命がけの」仕事だったらしい。
自分が恵まれなかったからこそ、利他的であろうとしたのだ。
………今、こんなスターっているんだっけ?
さて、私がオードリーファンになったのは、小6(1991年)のクリスマスに見た『ローマの休日』がきっかけだった。
王女さまが屋敷を抜け出し、ローマの街を冒険するあの名作だが、23時ごろ見終わって布団に入ったものの、1時間ぐらい涙としゃっくりが止まらず、「眠れないよー!」と母に泣きついたことと、セットになって覚えている。
あんなに泣いた映画は以来ないが、何に泣いたかは全く不明。1日限りの恋が切なかったか、記者会見のシーンで2人の絆を感じたか、とにかく、あんなに清楚であんなに綺麗なのに、圧倒的にキュートでもあるその姿に、小6女子の心が射抜かれていたことは確かだ。
その後も思春期にかけて、彼女は憧れの人だった。田舎にはレンタルビデオ屋がなかったから、離別した父(都会在住)に頼んで送ってもらうほど心酔していた。
そんな『ローマの休日』(を私が見た日)から2年。オードリーが亡くなったのは1993年だったが、親善大使のことはよくニュースで見たのを覚えている。当時は世界の紛争について、紛争自体の報道より、オードリーの活動で見ていたような気さえする。彼女の命がけの仕事を通して。
それにしても、今、この映画が上映されたのは一体どういう意図なんだろう。
制作者の本当のところは分からないけど、少なくとも私には、あんなに清楚であんなに綺麗で、圧倒的にキュートだったあの人が、実は決して「ただの綺麗な人」でも「恵まれた人」でもなかったのに、世界中の恵まれない子どもたちに対して、死ぬ間際まで利他的であろうとしたこと、その姿を改めて見て、そこから何かを考えろ、ということのような気がした。