ゆかこの部屋

小さな幸せを集めて貯めるblog

生き金を遣う

篠山一の名店「いわや」で送別会を開いてもらった。

「18時に予約しましたから〜」って連絡を、下北山村(篠山から4時間)で14時半に見てしまい、今年の3位に入る爆走ぶりで篠山に戻った。

ちなみに1位は、某社から納品遅れの連絡を受けて、確認に走った8月12日。2位は某社にビールやら食品やら運んでスピード違反35000円取られた9月20日。ほんっとよく走ったなー(しみじみ)。 

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さて、送別会では1次会の「いわや」で10000円。2次会の「丹波路ブルワリー」で15000円払った。

2月から来る子(23才)の歓迎会も兼ねていたため、そして先立つ不孝をお許しくださいということで、1次会は1/3負担、2次会は私の全奢りだ。

 

ビールだけで15000円は驚いたけど、なけなしの貯金を切り崩しながらだけど、私はこの出費を勿体ないとは感じなかった。初めて年上らしいことができたし、この奇跡のような1年に、感謝の意味も考えれば。

 

私はまた東京に戻って、スキルと時間を切り売りしながら生きる。すれ違う人に興味を持たれず、いないところで噂にもならず、外では心を隠して、ぬるま湯みたいなコミュニティで、万能感を勘違いして。

善し悪しじゃなくて、もうその「線引き」に慣れすぎてしまった。

忙しいだけならまだしも、常に裸で、全開で、芋洗いの芋みたいにぶつかりながら暮らすなんて、100年早かったんだ、私には。

高野山で山籠もり

下北山村の前の日は、高野山に泊まった。

高野山への道もまた急峻で、本当に人なんか住んでいるのかという感じだったが、山道を転げるように進んだ先に、口を開けて待っていた。

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高野山は、空海弘法大師)が遣唐使船で長安に渡り、密教を学んだ後に開山した、真言宗の聖地らしい。

町に並ぶのは寺ばかり。歩くのは僧侶ばかり。文字通り、天空に浮かぶ、俗世から離れた聖地である。

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私は「壇上伽藍」「金剛峯寺」「奥の院」を拝観。

壇上伽藍は中の彫刻や柱絵が、

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金剛峯寺は庭や襖絵が、


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そして奥の院は広大な敷地に並ぶ墓の一つひとつが壮観。


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その手仕事の凄さたるや、「この世の全ての祈り、集めました」みたいなところで、そこで何を祈るかといったら「無事に東京に戻れますように」だった。

直感だから仕方ないけど、東京の何が素晴らしいのか、どうしてそんなに戻りたいのか、未だ自分でも説明のつかないところである。

 

いずれにせよ、私に「田舎でゆっくり考える」なんて選択肢はない。引き籠もったって思考停止するだけだ。

であれば、安心して暮らせる環境を選ぶほかない。

さよなら関西、あばよ篠山。

下北山村への道

最近忙しい。

週5で働いて、休日は東京まで来て職探し。転居の準備もしなきゃならないというのに、更には行かなければならないところもあった。

奈良県下北山村だ。

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下北山村とは、奈良県の東南端(ほぼ三重か和歌山)にある村で、昨年「むらコトアカデミー」で訪問したところ。

今年は関西に住んでいたので、「近い内に再訪します」といいながら、車で4時間という距離に躊躇していたら、関西を離れることになってしまった。

ちょうどその頃、村のWさんから連絡が来て、名産品である柑橘「じゃばら」が取れたという。呼ばれている。こりゃーもう行くしかない。

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というわけで、「下北山村への道」ですが、今回書きたいのは、私、運転うまくなったな、って、もうそれだけです。それに尽きます。

というのも、奈良の山は兵庫とは比較にならないほど急峻。2時間半ぐらいの間、全て山道なもんだから、ハンドルは右回転→左回転→右回転∞

中にはガードレールのない箇所もあり、もし落ちて死んだとしても1ヶ月は見つかりそうにない。

もう怖いを通り越して面白くなってきちゃって、例によってきんと雲(車)と励まし合いながら、村役場に着いたときには、戦地からの帰還兵の気分でした。

 

役場では村長室に通していただき(VIPか!)、じゃばらを頂き、BIYORIも寄って、トンボ帰りだったから写真1枚も撮らなかったけど、こんなに優しい村の関係人口を続けようと決意したのでした。

ファンタジーとリアル

あるメルマガで、タイムリーな文章が目に入ってきた。

タイトルは『ファンタジーな夢とリアルな夢』。

 

メルマガにはこう書かれていた。

ファンタジーな夢は、

叶うことではなく見ることが目的

本当に叶うリアルな夢には、

「店舗の費用にはいくらかかるのか?」
「資金はどうするのか?」
「何を売るのか?」
「立地はどうか?」

といった現実的な問いが立つはずだが、

ファンタジーな夢だけを語る人は、
ドロ臭いことには目を向けない

とある。

とても納得した。

 

私は、ファンタジーな夢を見るのが苦手だ。

仕事で疲れ果てたとき、書いたウィッシュリストは「自炊したい」とか「ごろごろしたい」とか、明日にでもできそうなものばかりだった。 

できそうにないことを、考える能力がないのである。

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だからこそ、ファンタジーな夢に憧れがあった。

素敵だと感じるものに自分でも関われたら素敵。

…という意味で、今年ここで過ごせたことには大きな価値を感じている。

 

私が今年学んだのは、

ファンタジーな夢が叶うとき、そこには血の滲むような努力と、奇跡のような現実の引き寄せが「セットで」ある、ということ。

私は挫折してしまったけれど、自分なりには血が滲んでいたし、奇跡の兆しのようなものも、見ることができた。

今年起きたことは、綺麗にまとめればこういうことだ。

 

ここで出会ったのは、ファンタジーな夢を見られる人たち。できるできないの判断より夢を見る力に長けている人たち。←悪口ではありません

故に、奇跡のような現実を引き寄せることもあれば、努力するだけして出血死することもあるだろう。

 

一番悪いのは、できない理由ばかり考えて、夢そのものを縮小してしまうことだ。

たかがファンタジーだと腐してしまうことだ。

ここに来るまでの私が、そうだったように。ここを去っても油断すれば、そうなってしまうように。

 

『ファンタジーをリアルにしていく。』

ステップの高ささえ誤らなければ、夢は恐れるに足りないのかもしれない。

ま、そのファンタジー度合いには…驚いたけど。←本音

しないことリスト

田舎に暮らして良かったことの1つに、自分の欲しいものとそうでないものとが分かった、ということがある。

「田舎は不便でしょー」とよく聞かれるが、最低限のものは揃うし、本当に欲しければ都会に行くなりネットで買うなりするものだ。そうこうする内に「欲しくない」ものは淘汰されてしまう。

それを都会でもキープするため、ちょっとルールを定めてみた。

  1. 外食をしない(人に会うときや、どうしても食べたいときはOK)
  2. 平日着る5組以上の洋服を買わない
  3. テレビを見ない(月曜から夜ふかしはOK)
  4. SNSを見ない(久しぶりに会う前の予習はOK)
  5. 満員電車に乗らない(雨の日はOK)

決め過ぎてもまた守れなくなるんで、まずは5個。新居の壁に貼っとこ。

お金から自由になる

こっちで出会った素敵な夫婦と話をした。

私のことを節目節目で面倒見てくれた夫婦だ。

この人たちにあって、あの人たちにないものは何だろう、と考えていた。

思考のプロセスは省略するが、答えは「お金からの自由」だった。

 

夫婦は、自分たちに何ができるか、を徹底的に考えている。

それは都会人の「スキル」とかいう安っぽい発想とは違う。

「できること」だけでなく、「できないこと」も含めて「自分らしさ」。それを生かし、どう生きるのかという問いだ。

お金のために自分を「切り売り」するという発想がない。だから私のことも、そういう目で見てくれていたんだと思う。

 

前回の投稿で、

欲の強すぎる人や、口ばっかりの人と距離を置きたかった

と書いている。

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じゃどうして、それができないのかという問いが残る。

答えは「お金から自由」じゃなかったからだ。

自分で背負った借金でもないのに、返さなきゃ返さなきゃと、気づけばボロボロになっていた。そして自分の働きぐらいで、返せる額じゃないことを悟った。

 

細かいことは省略するけど、「お金から自由になる」ためには、身のほど以上を背負ってはならない。

自分に適切なサイズの欲を、選ばなければならないのだろう。

過去の自分に学ぶ会_20191213

毎週木曜日は、過去の投稿を見直す日。ですが、山籠もりをしていたので遅くなりました。

過去に得た学びを反芻することで、今に役立てようという企画です。

 

まずは2014年は…前回と同じなので省略。

2015年は…投稿そのものがなし。

2016年は…妙な本を読んでいる(笑)

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2017年は、淡路島移住体験ツアーに参加。「豊かさ」について考えているようだ。

私も田舎で暮らしたけど、「豊か」になんかなれなかった。どこに暮らすか、じゃなくて、どう暮らすか、なんだろう。急ぎすぎ、忙しすぎはNG。

東京に戻ったら焦らず、小さくコツコツ積み重ねるんだ。

…の前に、淡路島行きたい。

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2018年は、篠山に暮らす音楽家高木正勝さんのCDを買ったようだ。

そして、間もなく始まる田舎暮らしについて、目指すところを書いている。

綺麗な空気や純粋な水といった、体に対するインプット。森の音や鳥の声といった、感覚に対するインプット

を通して、

あれもこれも頭でコントロールしようとせず、

本当に優しいものを、綺麗で純粋なものを、生み出せる人になりたい。

うーん。自給自足でもしなきゃ、なれそうにないかも。

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そして、この投稿の中で引用している別の投稿でも、似たようなことが書かれている。

大きな自然の中で、小さな人間として暮らす。

人間だらけの都会で、どっちが大きい、どっちが小さいという争いをするのではなく、 田舎で出会った多くの人たちがそうであるように、自然の力を借りて暮らし、故に謙虚でありながら、本質を突く言葉を発する。そういう人になりたいのだ。

あぁー、胸が痛い。

この1年は、負のリアルを目にしすぎた。

田舎では予想通り、素敵な人に出会えたけど、全員全員、期待通りだったわけじゃない。都会と同じように弱肉強食はあるし、それがバイネームで見えるだけに、関わってしまえば面倒も増える。

要は都会であろうと田舎であろうと、欲の強すぎる人や、口ばっかりの人と距離を置きたかったのかもしれない。 

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今回は2年分しかないけど、まとめ。

・急ぎすぎない、忙しくしすぎない

・あれもこれも頭でコントロールしない

・綺麗で純粋なものを体と感覚にインプットする

・自然の中で謙虚に暮らし、本質の見える人になる

やっぱり淡路島に行こうか…。

素直にイラっとしていこう

もう更年期かしら?というぐらい、ちょっとしたことにイラっとする。

といっても、正当な権利を主張しているだけなので、やっと社会人として健康なレベルになれたのかもしれない。

 

この1年は、緊張の1年だった。

どうしてこんなに?というぐらい、常に緊張していた。

「自分はこうあるべきだ」という考えが強すぎて、イラっとすること、それを表に出すことを自分に許せなかった。

 

「こうあるべき」私は、全体を見て遅れているところ、足りていないところを埋められる人だ。

「こうあるべき」私は、多少面倒なことであっても、ぐっと我慢して、「はいはい、私がやれば良いんでしょ」と黙って埋めてあげる人だ。そうしないと、誰かが困るだろうから。

 

その結果TO DOが増えすぎ、潰れてしまったことは再三書いた通りだが、今になって感じるのは、「ネガティブな感情を、思考で処理しすぎてはいけなかった」ということ。

感じたままを感じることが人間らしさであり、それを表に出すことが、「共感」を積み重ねる種になる。「困ってる」と表明することが、助け合いへと、そして「し合わせ」へと続く。

 

ま、今更どうこうしないけど、世の中は綺麗になんか泳げないよう出来てるらしい。

片付ける

今日は、多くのTO DOが片付いた日。

念願叶って、

  • きんと雲(車)の点検
  • 子宮頚がん検診
  • 本の処分
  • カメラの処分

が完了。

断捨離も順調で、元の荷物の1/3は難しそうだけど、1/2には収まりそう。車で運ぶ+少し送るぐらいか。

 

片付けながら感じること。

どんなに高いものでも、気に入ってなきゃ価値がないのと同じ。

どんなに素敵なことでも、好きじゃなきゃ意味がないのと同じ。

 

「今年」という1年に対して、「篠山」という土地に対して、どんどん別れを告げていく。

死にさえしなきゃ生きていられる。生きてさえいりゃまた会える。

会うべき人とは。

40才の着地点

「40代は人生の折り返し」というが、私自身も今年、どっかのタイミングで間違いなく折り返した気がしている。

つい1年前までは「田舎暮らしできる!ビール作りできる!」と好奇心の塊だったが、今やすっかり安定志向。新たに何かを獲得することに、すっかり興味がなくなってしまった。

 

昨日は面接の後、根津にあるNさんの店に、TさんとRさんを呼び出した。通称「仲良しおじさん三羽ガラス」である。

喋った内容は忘れたが、写真には安心しきった笑顔の私が写っていた。それを見て思った。

「もう、これで良い」と。

 

向上心ゼロ。成長意欲ゼロのこの感じ。ある意味「不惑」な内面に、どんな変化が起きたのか。

パイロットフィッシュ」という本に、ぴったりの表現が書いてあった。

感性の集合体だったはずの自分がいつからか記憶の集合体になってしまっている。

これだ。

何か起きたときには、過去の経験からそれを評価する。それは未来を決めつけることであり、可能性を閉ざすことでもあるが、もう、いろんな経験しちゃってるから、ゼロから何かを、なんて感じられなくなったのだ。 

 

これからは、遠くに見える大きなものより、近くに見える小さなものを、集めていきたい。

変化ではなく、追加。

ゼロをイチに、ではなく、イチをニに、ニをサンに。

今年1年の経験は、私を「大人」にしたんだろうか。少なくとも「最後の冒険」だったことは間違いない。

(まだ疲れてんのかな?)